徳田秋聲作「チビの魂」 | ||
徳田秋聲記念館学芸員 大木志門 |
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昭和十年(一九三五)六月一日発行の雑誌「改造」に発表された作品である。 |
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徳田秋聲作「加賀」 | ||
徳田秋聲記念館学芸員 大木志門 |
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明治四十四年二月の雑誌「新潮」に発表された、郷里金沢を題材にしたエッセイである。秋聲は当時『新世帯』『足迹』で自然主義作家として地位を確かなものとしており、この年の八月からは代表作『黴』を連載開始することになる。辛苦の中で生長したゆえに、これまで金沢を好意的に振りかえることの無かった秋聲だが、ここでは気持の余裕も出て来たせいか、いつになく生き生きと筆が伸びている。 |
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徳田秋聲作「カナリヤ塚」 | ||
徳田秋聲記念館学芸員 大木志門 |
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明治三十六年八月〜九月の「少年世界」に掲載された児童向け作品である。 |
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(2008年3月15日〜3月23日 2008朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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泉鏡花作「高野聖」 | ||
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日 |
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冬の夜の敦賀の宿。若狭に帰省する若者が、東海道線の車中で道連れになった旅僧(実は宗門名誉の説教師)から、僧が若い頃の不思議な体験を聞く話。ある夏、僧は飛騨から信州へ抜ける峠越えで人跡絶えた旧道に迷い込み、山蛭の森や蛇の道を抜け、山中の孤家に暮らす妖しい女に出会った。一夜の宿を請うた僧だが、蟇や獣が女にまつわりつくなど不可思議な光景を眼にする。女や身のまわりの世話をする親仁の怪しげな言動を訝しく思いながらも、言葉も身体も不自由でまるで子供のように無垢な夫を優しく世話する女の姿に胸を打たれる僧。翌日、一度は孤家を去ったものの、引き返して女とともに生涯を送ろうと思い定めた僧だが、昨夜の親仁に行き会い、諭される。孤家の女は魔性であり、女に対して煩悩を抱いた者は悉く蟇や獣に変えられる、谷川で女に抱きついた獣たちも、もとは女に邪念を抱いた男たちだというのだ。僧が一散に山道を駆け下りると、孤家と俗世を隔てるように山は激しい驟雨に包まれるのであった。 |
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泉鏡花作「外科室」 | ||
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日 |
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東京府下のある病院の外科室。〈予〉は画師としての好奇心から、親友の高峰医学士に頼み、貴船伯爵夫人の手術に立ち会うことになった。親族が見守るなか、粛々と手術の準備は進められるが、夫人は心に秘めたある事をうわ言で口にするのを怖れ、麻酔無しで手術して欲しいと願う。人々が困惑するなか、夫にも言えない秘密ゆえと麻酔を固辞する夫人に応え、メスを執る高峰。「痛みますか。」と問う高峰に「いいえ、貴下だから。」と答える夫人。そして夫人はそのメスに手を添えて、「でも、貴下は、私を知りますまい!」と胸を深く掻き切ってしまう。真っ青におののきながらも「忘れません。」という高峰に、夫人は嬉しげに微笑して果て、高峰も同日に自ら命を絶つ。九年前、躑躅が紅く咲き乱れる小石川植物園で、唯一度、言葉を交わすこともなく擦れ違っただけの二人であった。 |
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泉鏡花作「夜行巡査」 | ||
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日 |
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巡査・八田義延は、職務に忠実で決して情を差し挟むことがない。彼は規則の名の下に、息子を兵隊にとられ貧しい生活を余儀なくされた車夫を身なりが悪いと叱責し、乳飲み子を抱え路頭に迷う女を軒下から凍てつく街に追い立てる。手にした角燈を怪獣の眼のように光らせ、何物をも見落とさぬよう、決められた道筋を一定の法則を以て歩行し、巡回する男である。八田にはお香という婚約者がいたが、お香の亡き母への叶わなかった執心からお香の不幸を望む伯父のために結婚を邪魔され、結ばれずにいた。巡回の途次、お香のその憎き伯父が過って堀に落ちたところに遭遇した八田。彼は一瞬躊躇するが、警官としての職掌を果たすため、お香の制止を振り切って泳げないにもかかわらずに伯父を助けるために水に飛び込み殉職する。 |
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泉鏡花作「琵琶傳」 | ||
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日 |
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父の遺言に従い、許婚の陸軍尉官・近藤重隆に嫁いだお通。しかし、従兄の相本謙三郎と相愛の仲であった彼女は、婚礼の夜、夫に向かって「出来さえすれば節操を破ります!」と言い放つ。その様子に「きっと節操を守らせる」と嘲笑を浮かべ、お通に指一本触れずに彼女をそのまま田舎の弧家に幽閉する重隆。一方、お通の実家では、出征を明日に控えた謙三郎に対し、お通の母が彼の鍾愛する鸚鵡の「琵琶」を空に放ち、脱営してでも出征前にお通に会っていくように告げる。きっと逢いに行くと誓ってお通の幽閉先におもむき、番人の老爺を殺して再会を果たした謙三郎だが、その場で捕われ、二ヶ月後、脱営と殺人の罪で銃殺される。夫・重隆に伴われ、その様子を見せ付けられたお通は、気丈にも平静を保ち続けるが、里帰りを許されて実家で過ごすうちに、その狂気をあらわにしていく。ある一日、「ツウチャン」と彼女の名を呼ぶ「琵琶」に導かれるように謙三郎の眠る墓地にさまよい出たお通は、重隆が謙三郎の墓を足蹴にし、唾を吐きかける様子を目にし、重隆の咽喉を食い破る。 日清戦争を背景とする作品。その内容ゆえか、昭和15(1940)年から刊行された岩波書店『鏡花全集』には収録されず、同じく収録を見送られた「海城発電」とともに、戦後刊行された『鏡花全集』第2刷以降、別巻に収められた。 |
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泉鏡花作「鷭狩」 | ||
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日 |
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初冬の片山津の温泉宿。画家・稲田雪次郎は、真夜中の洗面所で姿見に映った女を美しい幽霊かと思いぞっとする。女はお澄という名の女中で、これから到着するという客を出迎えるために髪を結っていたのだった。部屋でお澄の酌を受けながら、この夜更けに名古屋から柴山潟の鷭を撃ちに来るという客の話を聞いていた稲田は、初めて上野の美術展覧会に入選した絵のモチーフである鷭がその遠来の客のために大量に殺されるのは忍びない、せめて鷭が目覚めて逃げる用意ができるまでの間、その狩を留めて欲しいと頼む。しかし、そこへ到着した客――実はお澄の旦那が鉢合わせし、お澄は折檻を受ける。夜が明け、客が狩に出掛けた後、鷭を描いた絵が入選したというのは嘘であり、お澄ほどの女に夜中に出迎えの支度をさせる男をねたんでやったことだと告白する稲田。お澄は親兄弟を養うために世話になっている旦那を前に稲田の願いを貫いた褒美として、稲田の小指を所望する。お澄に我が指を食い切らせた稲田に、お澄は言うのだった。「看病をいたしますよ。」 |
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(2008年3月15日〜3月23日 2008朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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室生犀星作「蜜のあはれ」 |
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室生犀星記念館館長 丹羽 勇 |
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「蜜のあはれ」は昭和34年、犀星が70歳の時に発表した小説である。この作品の前後には「杏つ子」をはじめ「我が愛する詩人の伝記」「かげろふの日記遺文」等を次々に書き、各文学賞を独占するかのような勢いがあり犀星文学の高揚期に生まれた傑作である。 川端康成が『犀星は、言語表現の妖魔であった』と評したごとく「蜜のあはれ」は、文章がすべて会話のみからなっており、空想を駆使した風変わりな小説である。 |
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室生犀星作「昨日いらつしつて下さい」 | ||
室生犀星記念館館長 丹羽 勇 |
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犀星独特の表現、まるで意表を突いたような題名の詩集「昨日いらつしつて下さい」は、昭和34年に発行されたもので、犀星晩年の作品である。巻末には『最後の詩集』と題した後書きが記され『…人間が老いるといふことは、舌もまた老いることである。その舌に言葉はうかばない。……それを知りながらなほ言葉を拾はうとしてゐる悶えがあって、その微弱な悶えにすがってこれらが歌ひ現はされたと見た方がいい。…』と述べている。 |
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(2008年3月15日〜3月23日 2008朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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室生犀星作「音楽時計」 | ||
室生犀星記念館学芸員 嶋田亜砂子 |
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大正10年1月、31歳のときに「少女の友」に発表した少女小説です。後に題名に、「−街裏にいたところ一つの挿話として録す−」と説明がつけられました。20代のころ、下宿を転々と渡り歩いた犀星が、どこかで実際に体験した物語、ということなのでしょうか。 |
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(2006年3月27日〜4月2日 2006朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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「にごりえ」樋口一葉作 | ||
雨中 |
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明治28年9月20日「文藝倶楽部」に発表する。舞台は「表にかゝげし看板を見れば、子細らしく、御料理とぞしたゝめける」銘酒店が軒並ぶ新開の地。物語は菊の井の酌婦お力と、彼女の為に破滅した源七とが無理とも同意とも解らぬ心中を遂げるまでを描いている。 |
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「十三夜」 樋口一葉作 | ||
雨中 |
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樋口一葉作「十三夜」 明治28年12月10日「文藝倶楽部」臨時創刊「閨秀小説」へ再掲載する「やみ夜」と共に発表される。物語は、嫁ぎ先の夫・原田勇の辛い仕打ちに耐えきれず、子供を置いて実家へ帰って来たお関が、父親に諭され再び原田家へ戻る月夜の晩に、人力車夫へ身を落とした幼馴染みの高坂録之助と再会して別れるまでを描いている。二人は慕い合う仲であったが想いを告げ合うこともなく、「量らぬ人と縁の定ま」ったお関の結婚に録之助は乱心して身を滅ぼしてしまう。お関は変わり果てた録之助の姿に、誰の人生の上にも不幸が存在することに気付き始める。 「十三夜」は樋口家の長女ふじをめぐる樋口家の不幸を書いたものと見られている。ふじは士族和仁元亀との夫婦生活に耐えらず明治8年に離婚して樋口家に復籍し、明治12年に久保木長十郎と再婚して秀太郎を産んでいる。また、作者の母たきが乳母として奉公していた旗本稲葉家が明治維新後没落して、乳母子お鑛の婿・寛が人力車夫に成り下がった経緯も念頭にあったように思われる。一葉の実弟である樋口家の我が儘息子「虎之助」が、作中では夜学へ通う品行方正な弟「亥之助」として登場したり、ふじの子供秀太郎が「太郎」として登場する。 一葉には、父・則義の生前に渋谷三郎という許嫁があった。しかし則義没後、渋谷との縁談は破談となった。この渋谷が「原町田村」の兄・仙次郎宅を拠点に政治運動を行っていた事から「原田」をとり、一葉が好んだ英雄豪傑、任侠義人の勇ましさの「勇」をとって、作中のお関の夫を「原田勇」と命名したのも、則義没後に落胆させられた渋谷三郎を意識したネーミングではないかと考えるのは飛躍しているだろうか。明治25年9月1日「しのぶぐさ」には、渋谷との縁談を破談にした母たきの様子が記録されており、お関の不幸を嘆き原田を批判する母たきの姿が重なるように思う。 |
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「うらむらさき 〜樋口一葉作「裏紫」をうけて〜」瀬戸内寂聴作 | ||
雨中 |
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明治29年2月5日「新文壇」に「裏紫(上)」を発表する。その後執筆を止め続稿は未完に終わり「中」の未定稿がいくつか残っている。その後、瀬戸内寂聴著「うらむらさき −樋口一葉『裏紫』をうけて」(小学館「使者」1980年7月号)が発表され、一葉朗読の第一人者幸田弘子氏によって舞台化される。物語は、西洋小間物屋を営む小松原東二郎の内儀お律が、夫を騙して相思相愛の吉岡貢のもとへ出掛けていく「裏紫(上)」をうけて、「裏紫(中)」の未定稿を織り交ぜながら、密通の果てにお律が破滅して行くまでを描き、男性を翻弄する強い女性像を描き出すことにより「貞淑な妻」「慎ましい女性」「良妻賢母」という古い女性像を打ち破っている。 |
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(2008年3月15日〜3月23日 2008朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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演出ノート 〜 鏡花の文声高らかに 〜 | ||
雨中 |
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私は亡母憧憬の代表的作品「化鳥」を創造していくうち、雀を愛し鈴夫人と微笑ましい暮らしをなさっていた鏡花先生が、美しい母の住む天上へ鳥のように空へ飛び立とうとしている姿を思い浮かべるようになった。少年の名である「廉」という文字には、潔い、未練がないという意味があり、相対した心情を察する度に私は胸を打たれた。 |
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平成19年 春陽 |
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(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより) |
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