泥の花 虹組 八木紀子 川は町を守りたかった ひさいにあった町よ人よ立ちあがれ
浅野川は昭和28年にも氾濫しているので58年ぶりのことになる。前線に湿った空気が流れ込み、局地的な大雨が浅野川上流の医王山山中に降り注ぎ、湯涌も大きな被害を受けた。山が荒れ、山間地の田んぼは激減して、保水力が衰えた山々は悲鳴をあげていた。大雨は濁流となって町を襲った。 集中豪雨で浅野川氾濫 2万世帯 一時避難指示
いつも見上げる空が、ある日突然一段と空しい空に思えることがある。私達は、雲があり太陽がある空の彼方に宇宙をも想像することが出来る。2008年ノーベル物理学賞受賞者小林誠氏、益川敏英氏の素粒子物理学〜小林・益川理論〜は、私たちの身の回りのあらゆる物質を構成している最小要素は何なのかという飽くなき追求によって、人間の存在を理論的に証明した。この時点で私の脳から人間の祖先は猿だったという理論が影を潜めた。 究極の素粒子の大きさは、@物質 → A分子1/1000万cm → B原子1/1億cm → C原子核1/1兆cm → D陽子・中性子1/10兆cm → Eクォーク1/1京cm の順で小さくなって行き、クォーク1/1京cmも、第1世代アップ、ダウン、第2世代チャーム、ストレンジ、第3世代トップ、ボトム、と、3世代6種類に分かれているそうだ。 私達人間を形作る肉体も物質。様々な体格があり、究極の素粒子の集合体で成り立っている。・・・いつも見上げる空が、ある日突然一段と空しい空に思えることがある。こういう空の見上げ方は学術的にどう分析されるだろうか。140億年前、宇宙誕生の際の大爆発「ビッグバン」によって、クォークや電子といった基本粒子が生まれた。人間が素粒子の集合体であるならば、地球に産み落とされた素粒子として空を見上げることも不思議はない。素粒子の故郷は宇宙だから。そう考えると、物質である植物たちも太陽へ向かって伸びていくように見えて、実は宇宙へ帰るために1mmでも上に伸びようとして、まったく果たせずうちに枯れていくように見える。日陰のもやしでさえ日陰の密室から宇宙を目指しているのだ。 一輪の花もやがて朽ち、動物もまた肉体が朽ち、母なる大地へ帰る。肉体は滅びても魂は永遠に滅びない。これは人間同士分かち合う永遠論だ。魂は宇宙には帰らない。泉鏡花作「海神別荘」では、人間の魂が海月となって海底の瑯肝殿へ向かう美女にまとわりつき、守備の騎士たちに追い払われるというシーンがあるが、宇宙旅行をしているときに宇宙船に無数の魂がまとわりついて思うように飛行できないことはない。人間の生まれ故郷は地球であり、猿であり、素粒子であり、宇宙であり、ビックバンなのであるということが今更ながら確認できるのだ。・・・いつも見上げる空が、ある日突然一段と空しい空に思えることがある。空虚感は何故生まれるのか。人間は空に学術を求める一方で、空に感傷を巡らしている。空に自分を浮かべ、他人を浮かべ、喜怒哀楽を浮かべて、もの思いに沈むこともある。もの思いに沈むときは無意識に何かを見つめ、自分は何故こんな心境に陥っているのかと思慮する。たいがいは答えが見つからないまま、前向きな思考を奮い立たせて顔を上げることになるが、振り上げた顔には拭えない影が差している。それは「どうにでもなれ」という悲しみの影ではなく、何があろうと「なるようにしかならない」という負の強さが落とす影だ。「空虚丸」という小舟に乗り豪雨や大波に見舞われようと、空虚丸は何故か沈まない。 樋口一葉は元士族の娘として気位高く育てられたことで、晩年まで、人知れず自身に内在する血の悲劇と向き合っていた。古い因習が根を張る明治期の女性解放や、行く手を阻む厳しい現実に向き合う勤勉な女性であったことには違いない。しかし、宝石を鏤めた万年筆しか知らなかった華族のお姫様が、没落して100円均一の12ダースの鉛筆を持たなければならなくなるような斜陽を一葉は感じていた。そして一葉は、洗練された美意識を持って塵の中に生活をしていた。「ものぐるい」「親ゆずり」という草稿題名を経て発表された「にごりえ」や、「うつせみ」「われから」などには、鉄の心の持ち主であった一葉の外面とは反した可憐な姿が描かれている。一葉は彷徨う心を持つ自身を、波に漂う小舟のイメージに重ねていた。晩年の病床で一葉は雑記に遺している。「身はもと江湖の一扁舟、みづから一葉となのつて葦の葉のあやふきをしるといへども、波静かにしては釣魚自然のたのしみをわするゝあたわず。よしや海龍王のいかりにふれて、狂うらん、たちまち、それも何かは、」「さりとはの浮世は三分五里霧中」これが辞世の句となった。塵の中にうごめき、水の上に漂う小舟となろうとも、一葉の「滅びの美学」は人々を魅了して止まない。 水の都地球には生命体が溢れている。そして生命体の数だけ様々な感情が行き来している。もうこれ以上どうにもならないということもある。地へ目を落とせば憎しみが募るが、空を見上げれば恋心さえ芽生える。空を見よう、空を見上げよう、自分が空を見上げているとき、分かり合えなかったあの人も空を見上げている。祈ろう、いつか自分が究極の素粒子であった頃の記憶が甦れば、あの人と化学変化を起こすことが出来るに違いない。愛あるところに人は集い、人あるところに愛が生まれる。ここに貴女が在り、あちらに私が在る。ところは違えど同じ空を見上げている。私達は成りたくて大人になった訳ではない。年月と共に大人に成らなければならなかったのだ。大人とは永遠の子供になる為の準備段階、いつでも子供に返る準備は出来ている。星が敷き詰められた夜空を見上げれば、あの人の表情も輝いて見えよう。貴女は孤独ではない、目に深い憂いを忍ばせ星を観察してきた天体観測者の一員だ。ナンバーワンなんて必要ない。答えなど必要ない。正解など必要ない。正しい発声発音アクセントなんて必要ない(?)。・・・私が私らしく在るために、空はいつも貴女を見守っている・・・。
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平成20年10月 表川なおき |