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 『近代能楽集』(きんだいのうがくしゅう)は、三島由紀夫作の戯曲集。「邯鄲」(かんたん)、「綾の鼓」(あやのつづみ)、「卒塔婆小町」(そとばこまち)、「葵上」(あおいのうえ)、「班女」(はんじょ)、「道成寺」(どうじょうじ)、「熊野」(ゆや)、「弱法師」(よろぼし)、の8編からなる。 これら8作品は、昭和25年から昭和35年にかけて『新潮』や『声』などといった雑誌に発表された。 この戯曲は全て能の謡曲を原作とした翻案作品であり、能を世界に紹介した、という点においてその功績は大きい。 また、「源氏供養」(げんじくよう)という9作目も発表されたが、後に三島自身が自分の意思で廃曲と言い、この作品集から除外した。中でも「卒塔婆小町」への評価は高く、「葵上」と並んでたびたび上演される2作品となっている。なお、「班女」は、海外での人気は高いが、日本ではあまり上演されていない。

 近年、美輪明宏演出によって「卒塔婆小町」、「葵上」が上演された。また、蜷川幸雄演出による「卒塔婆小町」、「弱法師」の2作は、ロンドン、ニューヨークでも上演された。(三島は、生前この作品のニューヨーク公演を望んでいたが、実現されなかった。)三島が能楽集の中より「卒塔婆小町」「葵上」「斑女」の三本を構成・加筆して、ひとつの作品にした『Long After Love』という戯曲がある。『班女』(はんじょ)は世阿弥作と考えられる能の一つである。紅入り(若い娘)の狂女物だが、クルイ(激し乱れた心を表現する舞のパターン)の部分がなく、ひたすら扇に恋人を偲ぶ姿が舞と謡で表現される。扇物狂いと呼ばれる程、扇が目立つ。秋の扇は砧と並んで侘びしいものであった。「班女」の謂れは中国の班?、(はんしょうよ、「しょう」は女偏に捷の右側、「よ」は女偏に予)である。班は前漢の成帝の愛人であったが、趙飛燕にその座を奪われ、捨てられた我が身を秋の扇になぞらえて詩『怨歌行』を作った。

 狂言口開でアイによって班女の名の由来と、吉田の少将との恋がてきぱきと説明される。遊女である班女は本名を花子(はなご)というが、扇を愛好し班女と呼ばれた。班女は京より東下りの吉田の少将と恋に落ち、互いに扇を取り交わす。少将が旅立って以降班女は酌も取らずに扇を見つめている毎日である。そのため宿から追い出されてしまう。ワキ(吉田の少将)が現われ、都からまた野上に来たと道行きを説明する。ところが契ったはずの花子はいない。「花子が京に来る事があれば立ち寄ってくれ」と言付けて京に向かう。

 ここで場面は京都に移る。一声(シテの登場を示す笛の吹奏パターン )があり、後ジテが現われる。恋に泣く身を『いかに狂女なにとてけふは狂はぬぞ面白ろう狂ひ候へ』などと神社で見物人にからかわれる始末である。ところが片時も離さなかった扇に眼を留めた男があった。形見の扇に恋人を偲び中国の古籍をふんだんに引用した謡とともに序ノ舞(現在では中ノ舞)を舞う班女。男は(オリジナルではツレを介して)声をかけるが「これは愛しい人の形見だから」と拒否される。さらに声をかけ、扇を見せあえば、それが少将との再会であった。『それぞと知られ白雪の、扇のつまの形見こそ、妹背の中の情なれ、妹背の中の情なれ。』(トメ拍子)。

「班女」関連サイト
 能楽ポータルサイト:the能ドットコム
 http://www.the-noh.com/jp/index.html

 
     
 
 
     
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