朗読小屋 浅野川倶楽部 創立5周年記念公演
2010朗読で綴る北陸文学 
〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「あらくれ」 徳田秋聲作

 東京は王子の紙漉き業の家に養子として育ったお島は男勝りの気性で、養家から強いられた結婚を嫌い披露宴から飛び出してしまうほどである。続いて缶詰屋を営む鶴さんの後妻にやられるが、浮気者の夫に腹を立てて実家に戻り、そのまま離婚してしまう。今度は自ら選んだ洋裁師の小野田と洋服店を開業し猛然と働きはじめるが、怠け者の男に振り回されてお島の細腕繁盛記はなかなかままならない――。
 大正4年に「読売新聞」に連載されて人気を博した本作は、もともと
「野獣の如く」というタイトルで構想されていたという。ヒロインのお島は本郷森川町の秋聲宅近くで洋品店を営んでいた、妻はまの実弟小沢武雄(作中後半に登場する職人)の同棲者である鈴木ちよをモデルとしている。「女唐服(めとうふく)」(女性の洋装のこと)に麦藁帽をかぶり自転車で注文取りをして廻るお島は、日露戦前後に登場した新しい「職業女性」の一人であり、腕一本で下層から這い上がろうと活動し続ける強い女性である。男相手に啖呵も切れば、時には取っ組み合いの喧嘩だってする。いわゆる「近代的自我」なんかとは無縁で小難しい理屈なんか知らないが、欲望の赴くままに動いてゆく姿は魅力的である。
 それまでの近代作家が誰も書かなかったタイプの特異な女の一代記を描き、秋聲文学の集大成であるとともに日本自然主義文学の代表作となった名編である。戦後、映画や舞台にもなった他、1992年にはイタリア語訳が、2001年には英訳が出版されており、世界にも飛び出し始めたお島である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
 
 
 

「おぼろ月」 徳田秋聲作
 
 本作は明治38年4月8日「読売新聞」に発表された。西洋料理店で女中をする妹と、働きの悪い夫に苦労するその姉との、ある夜のやり取りを写実的に切り取った作品である。庶民の女性の結婚生活への幻滅が主題であろう。やや雅文調の出だしが秋聲の紅葉門下から自然主義時代への過渡期を示している。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「朧夜物語」 徳田秋聲作
 
 本作は明治34年5月「文芸倶楽部」に発表された。芸者のお花が上野行の鉄道馬車の中で出会ったのは、昔馴染みだった金という男。半ば無理矢理に男を馬車から降し、知人のお絹という女の芸者屋へ転がり込み、お絹が不在だったのでしばらくそこで待たせてもらうことにする。しかし、実はその家は同名の女性が経営する別の店で、隣の家が正しい家だったことが判明する。このような勘違いの顛末を描いた一種の艶笑譚であり、秋聲の自然主義以前の一側面を見せるものである。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「カナリヤ塚」 徳田秋聲作

 明治三十六年八月〜九月の「少年世界」に掲載された児童向け作品である。
 隣同士に住む金持ちの家の一郎と、貧しいけれども心の清らかな愛子が主人公である。愛子が何よりも大事にしているカナリヤを、意地悪な一郎が殺してしまうという事件が描かれ、やがて愛子にはカナリヤの功徳とも言うべき思いがけぬ幸運が訪れる。貧しく心優しい少女が最後には幸せになるという、明治期の児童文学らしい道徳的な読み物であるが、秋聲の弱者への慈しみの心が見て取れる。
 秋聲に児童文学作家のイメージは余りないが、博文館(「少年世界」の版元)に住み込みで勤めていた縁もあり、紅葉門下時代は糊口をしのぐため、かなりの数の児童向け作品を手がけている。「少年世界」は、俗に「日本のアンデルセン」と称される児童文学の開拓者・巌谷小波が主筆を務めていた雑誌である。すなわち秋聲ら若手作家たちは、小波や若松賎子らが切り開いた近代日本の児童文学の地平を下支えしていたということになるが、本作はそのような秋聲の知られざる一面を示す一編である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「感傷的の事」 徳田秋聲作
「母捨て」の文学−徳田秋聲「感傷的の事」

 「感傷的の事」は大正10年(1921)1月、雑誌『人間』の巻頭に発表された。これは前年11月に文壇をあげて祝された「花袋秋聲生誕五十年祝賀会」を記念した特集への寄稿であった。
 描かれるのは、母タケの死の前年である大正4年に金沢に帰郷し、生前の母に最後にまみえた日々である。明治維新以来、没落の一途を辿った徳田家だったが、この頃すでに父・雲平は世になく、子供たちも方々へ散り、残された母は材木町の親戚宅へ寄寓していた。主人公の「私」は、十年ぶりに金沢へ戻るが母との感情の疎隔は埋まらない。物語は、上京する「私」を追って人力車に追いすがる母の姿を活写し、「そして来ることの余りおそくて、別れることの余り早いのを、深く心に悔ひながら、永久の寂寞のなかに彼女を見棄てた。/其れが生きた彼女を見た私の最後であつた。」との述懐で結ばれる。
 浅野川の対岸の町に生を受けた泉鏡花の文学を「母恋い」と呼ぶなら、果たして秋聲のそれは「母捨て」の文学と言うべきかも知れない。あたたかな慈母を棄て、あたたかな故郷を追われるように出た秋聲にとって、「帰郷」とは過去の「棄郷」の記憶と邂逅する事に他ならない。その秋聲が母の喪失体験を呼び起こし、再び郷里金沢を哀切に見据えた佳品である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「故郷」 徳田秋聲作

 本作は明治40年4月に雑誌「秀才文壇」に発表された。「故郷」という懷しく温かなイメージを持つタイトルだが、その内容は荒涼としている。主人公の若い男は生まれ育った村に戻ってくるのだが、すでに彼は昔の彼ではなく、また故郷は昔の故郷ではなかった。そしてさらなる悲劇が生ずる。
 作品発表の明治40年といえば、自然主義文学が勃興し、秋聲もその中でぐんぐんと頭角を現していった時期である。自然主義作家として成熟してゆく時期に書かれた、秋聲の冷酷な筆致が冱える掌篇である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「女装」 徳田秋聲作

 明治41年1月の「女子文壇」に発表された作品である。ある年若い妻が不義の恋に陥り、その関係を継続させるために選んだのが、愛人に女性の扮装をさせ、女友達と偽って交際を続けるという奇策であった。末尾に「モオパツサンより」とあるので、19世紀フランスの文学者モーパッサンの翻案である事は明らかだが、作品の鍵となるアイディアはともかくも、皮肉な結末などいかにも秋聲好みの感じで、秋聲がモーパッサンに強い影響を受けている事を感じさせる。ちなみに「女子文壇」は文字通り明治の女性向けの投稿雑誌であるが、はたして本作を中上流家庭の子女に読ませるのが適切なのか少々心配である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「風呂桶」 徳田秋聲作

 大正十三年八月の「改造」に発表された。秋聲のいわゆる「心境小説」の代表的短編として言及される事の多い作品である。自宅の風呂桶を買い換えるにあたっての一騒動(夫婦喧嘩)を描きながら、死へと一歩一歩近づく老年の心境を、凝縮した描写と秋聲独特の錯綜した時間処理のもとに浮かび上がらせる。作品の最後で「おれが死ぬまでに、この桶一つで好いだろうか」「すると其が段々自分の棺桶のような気がして来るのであった」という、主人公の内面で風呂桶が棺桶へとくるりと転回する様は見事である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「父の帰宅」 小寺菊子作

 富山市出身で秋聲門下第一の女性作家・小寺(尾島)菊子の後期の代表的短編である。はじめ秋聲会の機関誌「あらくれ」昭和9年4月号に「子は反逆する」として掲載され、単行本『深夜の歌』(昭和11年)収録にあたり改題された。
 菊子の父は、売薬業が盛んな富山の水橋地区の名家の出だったが、菊子がまだ幼い頃にある事件に連座して投獄されたのである。菊子の代表作で「大阪朝日新聞」懸賞に女性で初めて次席入選となった『父の罪』(明治44年)などで繰り返し描かれることになるこの出来事は、尾島家の没落のきっかけとなり、また菊子が女戸主として家計を支えるため小説家への道を歩ませる一つの要因となった。
 本作は、その刑期を終えた父が家に戻ってきた日の思い出を書いた、いわば菊子版「父帰る」である。学校でつらい目に遭っておりどうしても父を許すことのできない兄、父に思い切り甘えたい気持ちがありながら兄の心情も理解できる故に素直に接することのできない幼い妹(菊子)、そんな親子の間を取り持とうと腐心する母親、そしてようやく戻ってきた家庭で愛する子供たちに冷たく拒絶される父親の絶望が丁寧に描き出される。実際の出来事からずいぶん時間をおいて書かれたためか、悲哀の中にも登場人物たちを冷静に見守るある種の余裕がうかがえる。菊子の的確な文章の力と叙情性が絶妙にからみあった作品である。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
   
 

「水の郷」 三島霜川作

 高岡市出身の小説家で、徳田秋聲の親友でもあった三島霜川の初期の名編である。明治37年6月に雑誌「婦人界」に掲載された。代表作「解剖室」(明治40年)や「虚無」(同)等の廃退的作風とは異なり、本作の物語世界は田園的で甘美な空気に満ちている。
 蛍狩りに熱中する主人公の少年は、ある晩も祖父の止めるのを聞かずに外へと飛び出してゆく。そして夢中で蛍を追っているうちに、少年はいつしか深い谷へと迷い込んでいることに気づく。すると白いヒゲの不思議な老人が現れて、ここが蛍谷という魔所だと告げるのである。
 「水の郷」と呼ばれたという作品の舞台は、霜川の生まれ育った高岡の中田地区(庄川の清流と蛍で知られる)がモデルであろう。一種の怪異譚であり、迷い込んだ山中で不思議な出来事に遭遇するパターンは、泉鏡花はもちろん古今東西の様々な物語に見られるが、明治35年創刊の日本最初の少女雑誌「少女界」の時代から晩年まで、多くの年少者向け小説を残した手練れの霜川らしい詩情豊かで良質な物語に仕上がっている。ちなみに本作はのち明治39年に「水郷」の題名でリライトされているが、あえて不可思議な要素を残したままに終わらせるこちら初期バージョンの方がはるかに優れている。

徳田秋聲記念館学芸員 大木志門

 
     
 
(2010年3月4日〜14日 朗読で綴る北陸文学 公演パンフレットより)
 
     

 
     
 
2010朗読で綴る北陸文学 
  〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「照葉狂言」 泉 鏡花作

 父母を持たず、伯母とともに暮らす少年貢は、閑雅な町で近所の女たちが語る昔話を聞きながら穏やかに暮らしていた。気がかりなのは幼なじみの年上の娘・雪のこと。同じく母を失った雪には継母があり、貢は雪が阿銀小銀の昔話のようにつらい思いをしているのではと案じていた。貢の町の芝居小屋では「照葉狂言」の一座が興行を打っていた。一座の女役者・小親の技芸とその美しさに魅せられた貢は、小屋に通ううち小親と近しくなる。しかし、ある晩、伯母が賭博の罪で拘引され、貢は行き場を失ってしまう。貢を引き取ろうとする雪だったが、貢は雪と継母との関係を思いやり、小親とともに一座に入って郷里を離れる。
 時は移り、一座の巡業のために八年ぶりに帰郷した貢だったが、生まれ育った町は水害のため変貌していた。雪は既に養子を取って人の妻となっていたが、継母の目にも余るほど婿から酷い仕打ちを受けているという。そもそも婿を迎えたのは水害の際、貢の家にあった楓の木がもとで雪の家が流され、家運が傾いたためだと継母から聞かされ、胸を痛める貢。継母は不義の罪で婿養子を追い出すため、貢が世話になっている小親に婿を誘惑させてはどうかと持ちかける。悩む貢。すべてを打ち明けられ、了承した小親だったが、雪を救えると喜ぶ貢に小親は深く傷つけられる。小親の秘めた思いを察した貢は、自分が姿を消すことで二人の女性に報いようと、一人山道に分け入った。
 鏡花が幼少時を過ごした金沢・下新町の往時の姿を描いたものとして名高い作品である。

泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日

 
   
 

「義血侠血」 泉 鏡花作

 高岡から石動に向かう乗合馬車と人力車の競争に巻き込まれた水芸の太夫・滝の白糸は、馭者・村越欣弥の謹厳たる様子に心惹かれる。後日、浅野川の天神橋で偶然欣弥と再会した彼女は、彼の不遇と学問への高い志を知り、学資の援助を申し出た。欣弥は白糸に「決してもう他人ではない」と誓い、法律を学ぶため上京する。以来、これまでの奔放な生き方を改め、必死に学資を稼ぐ白糸だったが、三年後の夏の夜、やっとの思いで稼いだ金を南京出刃打に奪われ、途方に暮れて兼六園をさまよい歩くうち、不意に迷い込んだ家で心ならずも強盗殺人を犯してしまう。事件の嫌疑は白糸を襲った出刃打にかかるが、白糸も参考人として法廷に呼ばれる。そこで彼女が目にしたのは、志を遂げ検事代理して法廷に現れた欣弥の姿だった。事件との関わりを否定してきた白糸だったが、欣弥の諭すような尋問に、ついに自らの罪を自白する。欣弥は白糸を殺人罪で起訴して職務を全うするが、白糸に死刑宣告が下された日、自殺する。
 明治27(1894)年、「読売新聞」に作者名「なにがし」として連載された、鏡花のいわゆる「観念小説」の代表作の一つ。その自筆原稿には師尾崎紅葉による添削の跡がいちじるしく、同28年の単行本収録も紅葉との連名で行われ、当時は紅葉作とみなしていた人々もいた。川上音二郎によって「滝の白糸」の外題で舞台化されて以降、数々の上演を重ね、「新派の古典」として現在に至っている。

泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日

 
   
 

「薬草取」 泉 鏡花作

 ある人の病を治すため、金沢・医王山に薬草取りに入った医学生・高坂は、山中で出会った花売の女とともに四季の花が一時に咲くという美女ヶ原に向かう。幼い頃、母の病を治す赤い花を採ろうと一人医王山に分け入り、美しい娘に助けられた高坂は、娘とともに美女ヶ原を訪れて目指す薬草を手に入れた後、山賊にとらわれてしまうが、娘が山賊のもとに残ることと引き替えに帰され、病床の母に薬草を届けることができた。自分のために犠牲となった娘のことが忘れられず、再び薬草を必要とする今度ばかりは、どんな辛苦にも耐えて自身で花を手に入れたいと語る高坂。語るうちに美女ヶ原に着いた二人は、色とりどりの花を摘みはじめる。そして花籠が満ちたその時、籠は夜の闇に消え、そこには髪に赤い花を一輪挿した女の姿が。女は高坂の手に花を取らせて、思う人の病は屹度治ると告げて消えた。鏡花が当時病床にあった師尾崎紅葉に捧げたことでも知られる作品である。

泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日

 
     
 
(2010年3月4日〜14日 朗読で綴る北陸文学 公演パンフレットより)
 
     

 
     
 
2010朗読で綴る北陸文学 
  〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「愛の詩集」 室生犀星作

 大正7年1月、詩人をめざして最初に上京してから8年、念願だったはじめての詩集『愛の詩集』を刊行しました。自らが主宰する詩の結社「感情詩社」からの自費出版でした。ここにおさめられているのは、ほとんどが大正5年から6年にかけて、27、8歳のときにつくられたものです。それ以前の文語体抒情詩がリズムや美しさ、優しさを特徴としていたのとはうってかわって、口語体による自由詩の形態をとって愛や人生をうたい、感情を直情的・情熱的に表現しているのが特徴です。
 詩集の自序で犀星は、「自分の詩の根本は苦悶で漲(みなぎ)つてゐる。自分の苦悶は永久で、泉のやうに無限であらう。」と述べ、また晩年には「これを編集するまでにどれだけの詩を埋没したか、その数は相当の多きに亘つてゐる。感激の世界が若さをつらぬゐていて、それが向ふ側に出られない悶えのやうなものが早くも詩の中では、どうにも現はれきれない有様を見せてゐる。」と語っています。苦悩をそれとして受け止め、悶え、表現することが詩であり、さらには、それが人生や自己を磨くのだとも捉えていました。

室生犀星記念館学芸員 嶋田亜砂子

 
   
 

「一茎二花の話」 室生犀星作

 大正12年11月、児童文学雑誌「金の船」に発表。童話集『翡翠』に収録。金沢の木ノ新保(現金沢市本町)にあった持明院というお寺でお坊さんが子供達を集めて話をしたという設定で語られるお話です。昔中国で、沈(チエン)さんという人が、友人張(チャン)さんの元に訪れた死の使者を追い返すため、一茎二花の蓮の花を使者に食べさせて酔わせ、張さんは死を免れました。
 持明院は一つの茎にいくつもの花をつける紅い妙連が咲く蓮寺として知られ、大正12年に国の天然記念物に指定されました。同じ年、犀星がこの話を発表しているのは、この出来事が犀星にお話のヒントを与えたからでしょうか。昭和46年に金沢市神宮寺に移転し、蓮も移植され、現在は県天然記念物に指定されています。『室生犀星全集 第3巻』(新潮社)、『室生犀星童話全集 第3巻』(創林社)に収録。

室生犀星記念館学芸員 嶋田亜砂子

 
   
 

王朝小曲集より
  「姫たちばな」 室生犀星作

 第二次世界大戦のさなかに発表された「姫たちばな」は、いわゆる王朝ものの一編です。いろいろな制限が課せられていて、作家たちは自由な執筆ができず、犀星はここでもひと工夫凝らしました。王朝のころに背景を変えることで若い男女の純愛物語を書き、命の尊さを訴えたわけです。話は、津の国の男と、和泉の国の男が、都に住まいする美女、橘に恋心をいだくところから始まります。二人はともに橘に深く心を奪われており、橘はどちらに身をまかせたらよいのか思案に暮れてしまいます。相談を受けた父は猟で決着をつけるように勧める。しかしともに弓矢の術に長けた若者は互いにゆずりません。結局、二人は互いを射殺してしまうことになるのです。橘は二つのむくろに手を合わせ、さめざめとすすりなきながら、人の命を粗末にしたくないと思う。そして父の戒めもきかず、二人の後を追って自ら命を絶ちます。

室生犀星記念館館長 笠森 勇

 
   
 

「万花鏡」 室生犀星作

 「杏の花」「桃」「さくら」「李(すもも)」の4話からなる童話で、「少女倶楽部」という雑誌に、大正15年4月に掲載されました。小さな生き物を慈しみ、よく観察し、その対象になりきることを得意とした犀星は、動物や魚を擬人化して描いた童話や小説を数多く残しましたが、そのなかでも、これは樹木を擬人化した、異色の作品です。春先に蕾を開くまでの小さな変化に色気の漂う杏の木、毛虫がきらいな桃、花のない木をうらやむ孤独なさくら、陰気な性分の李と、フィクションではない、犀星自身の観察から描き出された木の本当の姿が伝わってくるようです。

室生犀星記念館学芸員 嶋田亜砂子

 
   
 

「蜜のあはれ」 室生犀星作

 全編が会話で成り立つという大変珍しい作品です。それにもまして金魚が大切な舞台廻しをするというのは、古今東西にちょっと例がない不可思議な話です。金魚は二十歳ぐらいの女性になって、「おじさま」と愉しい時を過ごします。あれこれとねだったりして好きなことを言う金魚は、しまいには「おじさま」の子供を産みたいとまで言い出す。その上、「おじさま」の若いころの恋人で、今はもうこの世にいない女たちがやってくると、金魚は「おじさま」に代わってその心のうちに入ってゆくことができる。そんな力をもつ金魚によって「おじさま」(つまり作者犀星)の、女ひとに対する切々たる想いが語られる。
 「女のこころが判るものか、判らないから小説を書いたり映画を作つたりしてゐるんだ、だがぎりぎりまで行つてもやはり判つてゐない、判ることはおきまりの文句でそれを積み重ねてゐるだけなんだ。」

室生犀星記念館館長 笠森 勇

 
   
 

「山の犬の話」 室生犀星作

 信州の山の町から東京の家にもらってきた犬のチイがいなくなりましたが、一週間後、信州の元の家から、戻ってきたと電報が来たので、早速迎えに行きます。山育ちのチイに対する飼い主の思いやりに、心温まるお話です。
 この作品は、童話集『四つのたから』(昭和16年9月 小学館)に収められた4編のうちの1編です。本の「まえがき」には、「おはなしといふものは、たからもののやうにたのしいものであります。よむ人にもたからでありますが、かくわたしからいへば、たからものをわけるやうなこころもちであります。」とあり大切に書かれたことが想像されます。
 犀星は近所からもらった子犬がすぐに元の家に帰ってしまったり、自分の飼っていた犬や猫が、引っ越しのあと、前の家に戻ってしまう、ということを随筆に書いていますのでその経験から描かれた童話かもしれません。『室生犀星童話全集 1巻』(創林社)に収録。

室生犀星記念館学芸員 嶋田亜砂子

 
     
 
(2010年3月4日〜14日 朗読で綴る北陸文学 公演パンフレットより)
 
     

 
 
 
 
2010朗読で綴る北陸文学 
  〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「おんいのち」 水芦光子作

 舞台は終戦間近の金沢。染物屋「染津」では長男と次男が相次いで戦死する。残る三男の乙吾は召集がかかる直前、思いを寄せる藤千代にのみ行く先を告げて姿をくらます。だが乙吾は出立しようとする所を母・鈴に見つかり、彼女の手によって「染津」の屋根裏にかくまわれたのだった。病を患った鈴は女中の素外子に乙吾の世話を託し、そのうち乙吾と素外子は関係を持つようになる。やがて鈴は死去し、乙吾は屋根裏に身を潜めたまま、終戦を迎えるのだが…。
 作者の水芦光子は金沢出身の詩人・小説家で、室生犀星の最初の女弟子として知られる。「雪かとおもふ」「雪の喪章」など、水芦の作品では度々、人生のはかなさや悲しみを重ねるように「雪」が描かれるが、本作「おんいのち」もまた、「雪が燃える――」という印象的な書き出しから始まる。憎しみと愛に燃えて消えゆく、はかない女のいのちを象徴するように、人魂のような青い火が雪上を走るラストシーンが圧巻の佳作である。

 
 
石川近代文学館 當摩英理子
 
   
 

「風の盆恋歌」 高橋 治作

 学生時代に仲間と訪れた風の盆の一夜を境に、互いに恋心を抱きつつも身を引いた都築とえり子。それから二十数年後それぞれに家庭を持った二人はパリで再会、当時の誤解が解け恋慕の思いが甦る。えり子は都築に「一度きりでいいから、あなたと風の盆に行ってみたい。私を風の盆に連れて行って下さい」との言葉を残す。更に数年の時が流れ、都築がえり子を待ち風の盆の間だけを過ごす八尾の家にえり子はやって来る。二人は遠回りした時間を取り戻すかのように風の盆で愛し合う。しかし、三度目の逢瀬となる風の盆の初日、難病に冒された都築はおわらの調べの聞こえる中で息絶え、駆けつけてきたえり子も都築の後を追う・・・。
 高橋治は鏡花好きが高じて四高に入学した経歴を持ち、現在も白峰の地で僻村塾を開き活動する。高橋は日本の伝統文化が廃れていく中で自分たちの文化を守りぬこうとする八尾の街や人々を魅力的に描き、この小説の影響で風の盆を訪れる観光客は激増した。三味線と胡弓が奏でる「越中おわら節」の旋律のように哀愁を帯びた大人の恋愛小説である。

 
 
石川近代文学館 松山千津
 
   
 

「驟雨」 井上 靖作

 主人公である「私」は小学校時代、毎年夏休みを親元を離れ伊豆半島の別荘地でもある漁村で過ごしていた。高学年になり避暑に訪れる美貌の光橋夫人と親交を持つが彼女の夫には子供心に反感を覚える。夫人不在の折に光橋氏が天真爛漫な若い女と過ごしていたことを光橋夫人に詰問され、「私」は初めて男女の愛憎の一端にふれ、大人の世界を垣間見る。中学生になった「私」は光橋氏が事業に失敗、自殺し夫人の行方も知れないと知る。「私」は二年前の雷雨の日、夫人が「女」という魔性を一瞬晒すことによって、その場にいた三人がそれぞれに二度と取り戻せない何かを失ってしまっていたのだと気付き、自らの少年時代が終わってしまったことを感じる。
 重厚な歴史小説に定評のある井上だが現代小説も数多く執筆。自伝的小説「しろばんば」「夏草冬涛」、在籍した旧制第四高等学校柔道部を描いた「北の海」などがある。柔道に明け暮れた青春時代は石川近代文学館の展示で紹介されている。

 
 
石川近代文学館 奥田知穂
 
     
 
(1990年5月8日発行 鏡花劇場公演パンフレット「松田章一の老年物三部作」より)
 
     

 
     
 
2010朗読で綴る北陸文学 
  〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「ま哀しき恋 〜暁鳥敏と原谷とよ〜」 松田章一作

 この物語の暁烏敏と原谷とよと妻総の恋文のごく一部は暁鳥自身によって公開されています。没後七年『暁鳥敏全集』編集の折、その一部を伝記作製のため公開しました。その後、拙著『暁鳥敏―世と共に世を超えん―』でその半ばを使用しました。今晩の輪眞知子さんの朗読は、この著作の第七章「あるが儘の魂」から構成したものです。
 暁鳥敏は、現白山市北安田町の小さな寺の長男に生まれ、僧侶として生涯を過ごします。 京都の真宗大学時代に女の肌を知り、精神と肉体の乖離、人間の根源的欲求、性欲を直視することを課題に抱えました。
 この物語は大正六年敏ととよの出会いから、十三年とよの死に至るまでの物語ですが、倫理や法律や道徳といった「人間世間」を越えた真実の恋の苦悩と喜悦の「ま哀しき恋」の物語です。ま哀しきとは原谷とよの最後の歌の一句ですが、とよはもちろんのこと、妻の総にとっても、暁鳥にとっても、真に哀しき恋でありました。今回はその三つ巴の恋の冒頭部分です。いずれ第二部第三部も・・・・・・。

 
 
松田章一
 
   
 

「紅蓮物語」 森山 啓作

 奔流、崩壊、かささぎの橋の章 ―あらすじ―

 二万坪以上の二重堀があり、水城、芦城とも呼ばれた小松城下の富商、大松屋八兵衛は真の跡取りがなく、妾の萩に産ませた春野に、親子の名乗りをする機会を伺っていた。春野はずっと百姓に預けられて育ってきた。不作のその秋、八兵衛は決心する。春野を温泉に連れ出して親子の名乗りをしようと。湯治で山中温泉にいる内儀の八重の見舞いを兼ねて、春野を連れ出した。春野らが温泉に出かけて二日後、春野の恋人である河内福馬が、半年ぶりに出奔先の大坂から戻ってきて、大松屋の暖簾をくぐった。福馬は小松城下ではお尋ね者である。すぐに番頭の熊次郎から番所に通報され、福馬は春野に会えぬまま原村に逃れた。春野の消息は熊次郎から聞いた。福馬はそのまま山中温泉へ向かう。手取峡谷沿いの道を急いだ。道すがら、福馬は大飢饉の惨状を目の当りにして心を痛めた。小原村近く、笠取峠で少年滝三郎と知り合う。彼は春野のいる温泉宿の奉公人だった。福馬は腹痛を訴える滝三郎を負ぶり温泉宿の近くに来た。春野らが小松に帰る前日だった。滝三郎は福馬の伝言を持って、春野の元にやってくる。春野らは未練の湯浴みをしている最中。漸く総湯から出た春野に、福馬の伝言が届けられた。福馬様が来た!点火した火薬の様な思いを抱いて、春野はかささぎの橋を渡った。

森松和風

 
   
 

「乳の匂ひ」 加能作次郎作

 「乳の匂ひ」は、彼のいわゆる京都物と呼ばれる作品群の一つである。京都に出て、叔父の家に身を寄せていた頃の生活や見聞を描いたもので、「世の中へ」などに見えていた叔父の養女・お信さんにまつわる少年の懐かしい思い出が綴られたものである。自伝的な私小説とはいいながら、五十何歳にもなって、少年の日々を懐かしむ視点から発想されたものだけに、多分に美化されており、そうした傾向は、情味あふれるお信さんのやさしい人柄や主人公に対する好意的な態度を写すときに必然的に溢れ出ており、勢い創作化の度合いが濃くなっている。創作力の凝集を思わせる、濃度の勝った作品で、その構成上の技法も老熟の域に達し、ドラマチックな場面を幾重にも展開させている点をとっても、彼の生涯にわたる全作品中でも、屈指の名作、傑作と呼んでよいだろう。《参考文献》「乳の匂ひ」考 坂本政親 一九七三年(福井大学教育学部紀要二三号)より

志賀町立富来図書館 金井広美

 
     
 
(2010年3月4日〜14日 朗読で綴る北陸文学 公演パンフレットより)
 
     

 
     
 
2010朗読で綴る北陸文学 
  〜じっくり聞きたい郷土の文学たち〜

作品解説
 
   
 

「主計町あかり坂」 五木寛之作

  平成20年4月1日発行「オール讀物」四月号に発表される。金沢の植木職人であった高木庄司は「笛を吹いとる高木庄司です」と名乗るほど、本業よりも笛に夢中になる祭り囃子の笛の名手であった。その娘高木凜も父庄司に手ほどきを受け自らも笛を吹くようになる。しかし不幸なことに凜は両親の急死に遭遇してしまい、凜は報道会社に勤務するようになり番組ディレクターである黒江という青年と恋に落ちて行く。やがて若い男女の恋は破局へ向かい黒江は自らの夢を求め、凜は暗い想い出を忘れるために金沢主計町で芸妓の道を志し、冬の浅野川に笛の音を響かせながら自立した女性へと成長して行くのであった。
 作中に登場する泉鏡花研究家でもある詩人の高橋冬二郎は、芸妓となった高木凜に出会った時のイメージから「暗と明。泉鏡花には明けの明星をよんだ句があります。そこで、あかり坂。よし、これできまった」と主計町の名なし坂に「あかり坂」と名付けている。これは市民の強い要望により名なし坂への命名を託されていた著者の粋な計らいだ。

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「卯辰」寺本親平作

 平成17年2月20日「遠州豆本別冊短編小説集10」に発表後、「2005年上半期同人雑誌優秀作」として平成17年6月号の「文學界」に所載される。この作品により著者は第33回(平成17年度)泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞している。物語は「いまだに金銭の面で助けられている情けない還暦を過ぎた」巨漢の息子が、あらん限りの毒舌を振りまく米寿を過ぎた老母を卯辰山の花見見物に連れて行った時の話なのだが、読者は、咲き誇る花を目当てに集まる人群への著者の洞察に目を見張ることになるだろう。
 瑞々しい花舞台を背にケアセンターの車に乗り込む老人たちは「ただうち捨てられた者の目で」車窓から一斉に桜花と人群に目を向ける。「誰から見捨てられるのか、何に見捨てられるのか、これからどこへ連れていかれるのか(中略)帰る時にこそ捨てられるのだ。花に見捨てられ」て帰路につく。その後、幼稚園児を乗せたバスが到着して園児たちがなだれ込み所狭しと駆け回り騒ぎ立てる。園児たちは花など見てはいない。終盤には還暦の息子と米寿を過ぎた老母が親子そろって丘の斜面を転がり落ちるハプニングが起きるが、背中の痛みをこらえてようやく息子が起き上がると、老母は「おまえはやっぱりうらをここへ捨てて来る魂胆やったがやろ。」と怪我を負うどころか、悪坊主の園児を腰紐で桜の幹に縛りつけて息巻いているのであった。
 現代の姥捨て山を笑い飛ばすような老母の毒舌は爽快で、人生を謳歌する老母の人生賛歌がこの作品を包み込んでいるように思う。

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金沢城下町細工人譚「かざりや清次」 剣町柳一郎

 平成18年(2006年)7月30日蒼文舎より発表される。金沢城下町細工人譚で描かれる「かざりや清次」は白銀細工師、「針巻師勇三」は加賀毛針をつくる者、「茜龍の与助」は加賀絵紋師、「念仏者勘七」は箔師、そして「椿師と呼ばれた男」は西王母の椿をつくった侍の話であり、御一新の影響下、城下町金沢の細工人たちの生き様を描く時代作品譚である。この作品譚により著者は第34回(平成18年度)泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞する。
 「かざりや清次」こと泉清次は加賀象嵌を得意とした彫金師で、文豪泉鏡花の父である。明治18年(1885年)にニュルンベルクで開催された金工博覧会でメダルを受賞、明治26年(1893年)にはシカゴで開催されたコロンブス上陸400年記念万博で賞状を贈られていることが、泉鏡花記念館穴倉玉日学芸員によって明らかとなった。作中では御一新を生きる清次と鈴の夫婦の絆が描かれている。

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井上雪作「廓のおんな」より「梅ノ橋」

 昭和55年(1980年)朝日新聞社より発表され、大宅壮一ノンフィクション賞佳作を受賞する。この作品は尋常小学校2年生から城下町金沢の「東の廓」で生き、北陸一の名妓と呼ばれた「きぬ」の半生に取材し記録されたノンフィクション作品である。
 「わたしゃ、つくづく思うみしたねえ。芸者と奥さんの違いな、朝、目エ覚まいても横に旦さんの顔があるがが、奥さん稼業や、とねえ。」きぬは既に年季が明けていたが旦那に囲われていた愛人の身であった。しかし32歳の時、生まれて初めて恋をしてその男性と駆け落ちをしたのだ。「髪は乱れていないか」という心配ばかりして寝ていたきぬにとって、心から気を許せる相手に巡り会えたことは幸福であったに違いない。「梅ノ橋」は「廓のおんな」の序章を飾り、明治から昭和まで廓の中で生きて来たきぬの追懐が滲み出ている。

 
 
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水芦光子作 詩集「雪かと思ふ」

 昭和21年(1946年)師事していた室生犀星の支援により大地社から出版された。水芦光子は大正3年に金沢市の浅野川小橋界隈の箔商の家に生まれ、昭和6年に石川県立金沢第二高女を卒業している。その後箔商は倒産して一家は大阪へ移ることになるのだが、水芦は戦中戦後を大阪で暮らした女性の視点から、女性の精神世界を描写した作品を多く発表するようになり、昭和30年「赤門文学」に掲載された「米と花の小さな記録」が芥川賞候補となり注目を集めた。
 水芦の小説は文体が叙情的で美しく、昭和34年に発表された「雪の喪章」は高い評価を得ている。水芦作品の殆どは絶版や廃刊となっている。詩集「雪かと思ふ」に師である室生犀星の序文が記されている。「水芦さんは詩の奥の手を少しばかりこゝろえてゐるところがあつた。『雪かと思ふ』の一篇がそれだ、そこに辿りついたことは、詩の奥の方にはいつた證據であるといつていゝ。『どこかで光つてゐるのは、ほたるのかなしさだ。』このあたりで詩が本統の意味で彼女にやつと分かりかけてゐるし、彼女の才能はここから展かれるべきであろう。また、展かれてゐると云つていゝのである。」(詩集「雪かと思ふ」の「序」を抜粋)

 
 
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(2010年3月4日〜14日 朗読で綴る北陸文学 公演パンフレットより)
 
     
 
 
 
 
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