金沢文芸館オープン前々日 テレビ金沢収録  
 

2005年11月21日

 
  金沢文芸館オープン前々日、テレビ金沢の生収録が行なわれました。2階の金沢五木寛之文庫にて五木先生の展示作業中を撮り、引き続き1階高輪と戸丸さんとの対談、「浅の川暮色」一節朗読と盛り沢山の生収録となりました。  
     
 

ふむふむ。いい感じじゃ。
 
 
五木寛之作「浅の川暮色」一節朗読。
   
  収録前の打ち合せでは「浅の川暮色」の読む場所を巡り再調整を行なう。しかしプロデューサーを説得する形で高輪の希望する場所を読むことに・・・。スタッフのみなさんごめんなさいね。朗読テロップの付け足しや入れ替えで大変ご迷惑をお掛け致しました。

収録後に金沢市長が視察にいらっしゃいました。
 
 
この日は朝から、ヘアメイク(風組としえ)さんにヘア〜&メイクをしてもらい、付き人のなお君などと一緒に同行してもらい意気揚々と文芸館に乗り込んだのだ。まちこ姫は上機嫌。よしこの調子でいければいいのだが・・・。  
 

よんどるよんどる。間違えんとよんどる。 おお、さすが女優・・・口だけは達者じゃ。文芸館の宣伝はもちろん、浅野川倶楽部のことまで言ってるぞぉぉ。
 
       

 
       
  金沢文芸館オープン前日    
  2005年11月22日    
 

第33回泉鏡花文学賞・泉鏡花記念市民文学賞授賞式終了後、いくちゃん(花)、きみちゃん(虹)、くみちゃん(月)、じゅんこちゃん(風)、ひろこちゃん(星)、みわちゃん(夢)、まちこちゃん(た)達とニューグランドでお茶して帰る。
しかし、明日の着物は何を着ようか、いくちー、きみちーに相談するため倶楽部へよりみち・・・。うーんあれがいいかこれがいいか・・・迷った挙句に主計町の、のりこ姉さん(虹)に電話をかけ、大騒動ののちにこの着物に決まったのだった。
前日に引き続き、支えるスタッフのお陰様があり初めて、女優は仕事にありつけるのである。感謝。

 
       

 
       
  金沢文芸館 開館記念式典    
  2005年11月23日    
  北陸独特の湿気を帯びた季節が到来した浅野川界隈。この日はやや小雨ちらつくお天気でありましたが、金沢文芸館開館記念式典は盛大にとり行われました。
 
 
山出保金沢市長のご挨拶のあと、南部市議会議長のご挨拶、五木寛之氏よりご挨拶。格調高いこの式典に、我が浅野川倶楽部のリーダー高輪眞知子の朗読の世界が花開きました(?)会場内は満席。浅野川倶楽部部員数名は立ち見で入場でき、いささか窮屈ではありましたが、みんな体勢を整えで式典を見守りました。
 
 

この浅野川が育んだ土壌と、この界隈が持つ良い意味での猥雑さが文芸を育てる。金沢文芸館は、文学、芸能、音楽、演劇、朗読、その他いろんな芸術を含めた文芸という名の創作場として、市民の方々に愛され続けることを願ってやみません。

 
 

なんか指をさすってそわそわしとったのぅ・・・。だいじょうぶなんかなぁ。そうこうするうちに、五木寛之作「浅の川暮色」一節の朗読が始まったのだった。

 
   森口は靴を脱いで女主人のすすめるままに狭い急な階段をのぼり、廊下の突き当りの小部屋へ通った。天井は頭がつかえそうに低く、窓も床の間も小振りにできている。森口はその小部屋のどこか湿気をおびたくすんだ匂いをかいだ時、不意に自分がいま北陸の城下町にいるのだな、という実感をおぼえた。
「川の見える座敷のほうは?」
 と、彼は腰をかがめながら女主人にたずねた。
「ええ。あいておりますよ」
「ちょっとのぞかせてくれませんか」
「そういえば、むこうの広い部屋のほうが気に入ってられたわね」
 
 


  (な)その調子・・・。
 女主人は小柄な体をのばすようにして立ちあがり、廊下をへだてた座敷のほうへ、さあどうぞ、と手招きした。
「浅野川が見たくてね」
 
 
 森口は川に面したガラス戸を開けると、手すりに両肘をのせて、目の前の暗い並木の通りと、その向こうの浅野川の河面へ目をやった。川は光った銀色の網を打ったように小さな白い波を立てて流れており、対岸の古風な家並みが舞台の書割りのように黒いシルエットで浮びあがっている。付近の料亭で打っているらしい太鼓の響きが、風向きに応じて低くなったり高くなったりしながらかすかにきこえてきた。主計町は藩政の末から昭和初期まで花街として栄えた町で、明治末期の最盛期には茶屋の数五十、芸妓も百数十人あまりを数えたという。その頃の昔話を、森口は金沢支局の新米記者時代に、ここの女主人から取材して続きもののコラム地方版に連載したことがあるのだった。  
 



(な) お客をみて・・・。    

当時の座敷は、まだロウソクの灯りだったという。いまは料亭の数もへり、芸妓たちもわずかになってしまっているが、それでも金沢では東、西の二つの花街と並んで、隠れ遊びを楽しむ客が少なくないらしい。  
  「お酒、それともビールでも」
「いや、お茶で結構です。おばあちゃんの元気な顔を拝見したら、すぐ帰るつもりでしたから。どうぞおかまいなく」
「森口さんはビールのほうがよかったように憶えとるけど」
 女主人は下からビールを運ばせて、どうぞ、と、森口をみつめて微笑した。
「ほんとにまあ、立派なだんさんにおなりになって。あの頃は、なんちゅうか、ちょっと神経質そうな大学生みたいやったけど」
「そのうち四十ですからね」
 
 

「こんどは何のお仕事できなさったん?」
「加賀美術工芸展というのを東京のデパートでやることになったんです。その打合わせやら挨拶やらで」
「ほうけ。まあ、偉くおなりになって」
「偉くなんかないですよ。新聞社としてはむしろ脇道を歩いている感じでしてね」
「それでも恰幅もようなられて、男らしい落着きちゅうもんが出てきとりまさるもの」
「そうですか」
 
 
 森口はビールのグラスに口をつけて、さっきから喉元まで出かかってきている人の名前を苦い泡と共に飲み込んだ。女主人はそんな森口の気持ちを百も承知で、そしらぬ振りをしているにちがいなかった。木彫りの像のような柔和な微笑の奥に、昔は昔、今はもう過ぎ去った事件など忘れてしまいました、とでもいうような無言の呟きが隠されているような気がする。  
  「おかみさん、組合の浜田さんが」
 階下から女の呼ぶ声がして、女主人は、森口に会釈すると座敷に彼ひとりを残して姿を消した。



  (な)よしここからだ!
 
 
薄暗い電球が低い天井にぼんやりともっている。耳をすますと、川の流れがかすかにきこえた。座敷から帰る客を送るらしい女の嬌声がおこり、車の排気音とともに遠ざかって行く。開け放した窓から流れ込む夜気が冷たかった。森口はぼんやりビールのグラスを卓におくと、両膝を立ててその上に肘をつき、手で顎を支える姿勢になって目を伏せた。
 女主人はまだもどってくる様子はなかった。ひょっとすると、彼女はそんな森口の気分を察して、彼をその川の見える座敷に独りにしておこうと考えたのかもしれなかった。彼は立ち上って電灯を消すと、少し開けたガラス戸の間から夜の浅野川をみつめた。
 
 



(な)五木先生如何でしたでしょうか・・・?
その時はじめて彼がこの十数年の間、自分の内側に押込めて思い出すまいとつとめていたある人の名前が、ゆっくりと、しかし確かな手ざわりで意識の中に浮びあがってきた。
 柴野みつ、という名がそれだった。
 
 
   
       
 
       
  式典も終盤となり・・・    
       
 
報道陣の激しいフラッシュ撮影と共に、小学生達を両脇にして、左より五木先生、市長、市議長がテープカットを行いました。ぱちぱちぱち・・・。金沢の文芸を担う若者よ(なお君も)大いにその創造力を発揮し、「文学の町金沢」と呼ばれるにふさわしい作品を生み出してほしい。  
  テープカットが終わり式典は終了。来賓の皆様より先に(左より)泉名月さん、五木先生、山出市長、泉鏡花文学賞受賞された寮美千子さん、村松さんが席を立たれました。
すかさず高輪、五木先生にご挨拶し、来賓のお客様へご挨拶。なんかすっげー目立っとるやんか。
 
 
おお!高輪の話によると、五木先生より「またよろしく・・・」という励ましのお言葉を頂戴したようです。うん素晴らしい。  
       
 
よっしゃ〜シャッターチャンス!
もう完全に五木ファンを通り越してみーはーになってしまっている僕とじゅんこさん(風)。じゅんこさんは少女時代からの五木ファンなのだ。
(左・みわこさん)
 
 
   
 
高輪「来春の浅野川倶楽部発表会では、先生にご了解を頂いております浅の川暮色、そして三文豪作品を7日7晩朗読します!」

五木「うんそれはいいねぇ。朗読は群読(ぐんどく)もいいよぉ。」

高輪「はい、頑張ります!」
 
 
さっちみえん、さっち姉、きくちゃん、ひろみちゃん
   
       
       
 
       
  編集直記    
 
改築中の文芸館前で五木先生の御姿を発見し、爪先立ちで文芸館を覗いていたこともあった。
 
  のわぁ!こんな短い編集後記はないぞ〜と批判がありそう・・・五木先生を前に駄文は控えます。上記スリーショット写真は、としえちゃん(風)が撮ってくれました。皆様おつかれさまでした。  
       

 
     
  改めて編集直記  
 

 やっぱり書く。最近疲れが出てきてるようだ。実は僕・・・金沢文芸館サポートスタッフとして、お手伝いをさせて頂けることとなり、11/27・28と倶楽部を留守に致しました。う〜んごめん。やっぱり小屋が空っぽなのはダメだなと思う。電話かかっても携帯電話に転送され、満足な会話が出来ない。むずむずとしとる。どうしたらよかばってん?話は変り、金沢五木寛之文庫では、先生御作「戒厳令の夜」の取材から完成までの、原稿内容であるとか、編集社とのやり取り詳細資料とか、赤裸々な創作過程を目撃することが出来る。

 早速その日の夜に本屋へ行ったがなかったので、翌日朝一、駅前の本屋へ行ったが、絶版だと告げられる。以前古本屋で購入した文庫の「戒厳令の夜」は下巻で、上巻が見つからない。むむむと、いきり立って、東山の本屋や古本も揃えている東山房に行ったけどない。文芸館への出勤時間は11時。時間がないのであきらめて、倶楽部から他の五木先生の本を持ち出し文芸館へ向かう。

  信号待ち。やはりムラムラはおさまらない。

 
俺ってこんなに読むこと好きだったっけ?僕が通った高校は金沢市立工業高校である。ご存知の通り男子ばっかりで、女子は全校生徒の2割しかいない。中学生までサッカー少年であった体育会系であった僕は、演劇部の「新入生歓迎会」で男子と女子が仲良く演じる姿に感動し、女子と仲良くなりたい一心で、入部したばかりの汗臭いサッカー部の部室を出て、さわやかな演劇部の扉をノックした。こんな不純な動機を持って志した演劇の道。今日(こんにち)の神聖な朗読小屋浅野川倶楽部では、たくさんの素敵な女優陣に囲まれて、地域文化とは何か?劇場文化とは何ぞや?セリフ術とは?などと一見敬遠されそうな話題をもちかけたりしながら七転八倒している。

「ピッポッピッポッピッポッ・・・」
 そんなことをぶつぶつ考えているうちに信号は容赦なく点滅し始めた。
「やばい。この信号渡らなかったら文芸館遅刻しちゃう」
 僕は靴紐を結びなおし、横断歩道前で準備体操を始めた。とそんな暢気な場合じゃないのでさっさと渡った。
「ふぅ、今日の信号は手強かったぜ・・・」
 僕はどこまでが本当で、どこまでが嘘か分からない人だと女子に言われたことがあった。とにかく渡りきると左へ曲がって文芸館へ行かなければならないのに、さっきのムラムラがおさまらず、反対方向へ足を向け南洋堂書店へ駆け込んだ。
 そこには、古本よりもっと古い本、言わば「古代本」のような古本が、狭い入り口から奥へ、そして天井へ、ところせましと積み上げられていた。

「なさそやな」僕はため息混じりに本棚を見上げた。
 石川県史や金沢市史など郷土資料や仏教関係の箱入り豪華版ものは棚の上のほうに陳列され、無数の古代本は本棚と共に化石化しており、店内は古代洞窟のような雰囲気で湿気の臭いが漂っていた。「五木寛之、五木ひろ・・・、五木ひろ・・・」と呪文を唱えながら店内をぐるっと一周してみた。見当たらない。五木ひろしの歌謡本はあっても五木寛之本が見当たらない。五木先生は、かつてこの南洋堂書店をちょくちょく訪れていた。現在の金沢五木寛之文庫に展示されている資料の中で、この書店に置かれていた洋書の表紙裏に四高の印が押されたものがあり、価格が安く設定されていたことを記していらっしゃる御本があった。五木先生は南洋堂書店にこんなにも愛着を持っていらっしゃるのに、南洋堂書店は五木先生の書籍に愛想を尽かしているのか。突然、義憤に駆られ、ここの店主に聞いてみようと足元の古代本につまづき、よろめいた僕の視野に、ひと夏の恋人の面影がよぎった。恋人の名は「戒厳令の夜」。

「お前こんなところで何してるんだ。さっさと俺について来い」
 ほこりにまみれた恋人は、男気の強い僕の腕に抱かれて、古代洞窟の中を抜け出した。というよりこの界隈には廓があったので、男前の旦那に囲われたと言っても過言ではない。さて、そんなこんなで僕は遅刻した。周囲のさわやかな挨拶と笑顔には目もくれず、サポートスタッフとして担当する3階の文芸フロアへ駆け込んだ。
「よっしゃ読むじょぉぉ」
 僕は飢えたライオンのように、慌ただしく表紙をめくった。四高の印は無かった。あるのは、物珍しそうに見つめるもう1人のサポートスタッフの視線だった。ピッポッピッポッピッポッ・・・・・・。

 
     
 
2005.11.29 なお
 
      





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