泉鏡花作「義血侠血」 高岡から石動に向かう乗合馬車と人力車の競争に巻き込まれた水芸の太夫・滝の白糸は、馭者・村越欣弥の謹厳たる様子に心惹かれる。後日、浅野川の天神橋で偶然欣弥と再会した彼女は、彼の不遇と学問への高い志を知り、学資の援助を申し出た。欣弥は白糸に「決してもう他人ではない」と誓い、法律を学ぶため上京する。以来、これまでの奔放な生き方を改め、必死に学資を稼ぐ白糸だったが、三年後の夏の夜、やっとの思いで稼いだ金を南京出刃打に奪われ、途方に暮れて兼六園をさまよい歩くうち、不意に迷い込んだ家で心ならずも強盗殺人を犯してしまう。事件の嫌疑は白糸を襲った出刃打にかかるが、白糸も参考人として法廷に呼ばれる。そこで彼女が目にしたのは、志を遂げ検事代理して法廷に現れた欣弥の姿だった。事件との関わりを否定してきた白糸だったが、欣弥の諭すような尋問に、ついに自らの罪を自白する。欣弥は白糸を殺人罪で起訴して職務を全うするが、白糸に死刑宣告が下された日、自殺する。 明治27(1894)年、「読売新聞」に作者名「なにがし」として連載された、鏡花のいわゆる「観念小説」の代表作の一つ。その自筆原稿には師尾崎紅葉による添削の跡がいちじるしく、同28年の単行本収録も紅葉との連名で行われ、当時は紅葉作とみなしていた人々もいた。川上音二郎によって「滝の白糸」の外題で舞台化されて以降、数々の上演を重ね、「新派の古典」として現在に至っている。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日) |
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出演 高輪眞知子 / 演出 表川なおき |
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泉鏡花作「外科室」 明治28年6月、『外科室』は当時の有力な文芸雑誌「文芸倶楽部」の巻頭を飾り、水野年方の描く木版画の口絵が添えられた。鏡花が記した年譜には、「つゞいて「外科室」深夜にして成りて、文芸倶楽部巻頭に盛装して出づ。」とあり、口絵付で雑誌巻頭に掲載されたことを強調して書いている。一人前の作家として認められたことが、よほど嬉しかったのではないかと推察できる一文である。 作品の素材については、「小石川植物園に、うつくしく気高き人を見たるは事実なり。やがて夜の十二時頃より、明けがたまでに此を稿す。早きが手ぎはにはあらず、其の事の思出のみ。」と後に述懐しているように、佳人を見た印象から創作意欲が喚起され、鏡花の心に内在する恋愛至上主義と絡まり、書き上げられた作品といえる。 『外科室』は、手術を受ける貴船伯爵夫人とその執刀医の高峰医学士が主人公。貴船夫人は手術台に横になった時、麻酔なしで手術するように頼む。麻酔をするとその作用で、心に秘めた事を譫言で言ってしまうかもしれないと強く恐れたためである。高峰医師はその願いを聞き入れ、麻酔なしで夫人の胸にメスをいれる。術中、高峰の「痛みますか。」との問いかけに、夫人は「否、貴下だから、貴下だから。」と答える。 九年前、高峰と夫人は躑躅の咲き誇る小石川植物園でたった一度すれ違った。しかし、その一瞬で二人は互いに惹かれあい、その想いを心に封じ込めてきたのである。夫人は、高峰に対する想いが露見するのを恐れて麻酔を拒否し、ついには死に至る。高峰医学士も同日、夫人の後を追って命を絶つのであった。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 泉鏡花記念館学芸員 山本知行) |
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出演 岡田淑子 平井津賀子 小林貞子 順教寺明子 出島ひろ子 平野久美子 志牟田敬子 月影小夜子 寺田孝枝 冬科美桜 / 演出 表川なおき |
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泉鏡花作「夜行巡査」 鏡花の名前を文壇に知らしめた記念すべき作品。明治28年4月に発表された『夜行巡査』は、『外科室』とともに激賞され、鏡花は一躍、新進作家の仲間入りを果たした。人間の不条理を顕在化し展開されるその内容から観念小説や悲惨小説等と称され、後の優美で幻想的な鏡花世界とは一線を画している。 鏡花にとっても『夜行巡査』は思い入れが強い作品で、次のように語っている。「処女作といへば大ぎやうだが、初めて人様の前へ出したのが、二十八年のたしか四月に、文芸倶楽部に掲せた「夜行巡査」でありませう。いや是れに就いては苦労もいたしました、あの趣向をつけたのは二十七年の九月頃、舞台を牛ケ淵に取らうと思つて、まだ其頃は師匠の玄関に居たもんだから、一日暇を貰つて場所の研究に出かけました。」(『処女作談』より)鏡花は本作を、事実上の処女作と位置づけていたようである。『夜行巡査』は、職務遂行こそが全てで、そこには義理人情が入り込む余地がないと考える八田義延巡査が主人公である。物語前半は、老車夫や物乞いの親子に対する人間の感情を排除した機械のような八田巡査の非情なまでの言動を描き出している。そして後半は、八田巡査と相思相愛にあるお香と、二人の結婚を邪魔するお香の伯父が登場。偶然、夜回りの最中に八田巡査はその伯父があやまって堀に落ちるところを目撃する。八田は巡査の職務を全うするため水泳ができないことも顧みず、寒風吹きすさぶ中、溺れるお香の伯父を助けるため冬の堀に飛び込み、命を落とすのであった。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 泉鏡花記念館学芸員 山本知行) |
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出演 池本玲子 福岡澄子 菱田純子 長山照美 伊藤美和子 奥田孝子 中野繁子 笠間芙美子 / 演出 表川なおき |
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泉鏡花作「湯島の境内」 泉鏡花作「婦系図」(おんなけいず) |
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出演 高輪眞知子 荒木重治 岡本正樹 / 演出 高輪眞知子 |
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泉鏡花作「琵琶傳」 父の遺言に従い、許婚の陸軍尉官・近藤重隆に嫁いだお通。しかし、従兄の相本謙三郎と相愛の仲であった彼女は、婚礼の夜、夫に向かって「出来さえすれば節操を破ります!」と言い放つ。その様子に「きっと節操を守らせる」と嘲笑を浮かべ、お通に指一本触れずに彼女をそのまま田舎の弧家に幽閉する重隆。一方、お通の実家では、出征を明日に控えた謙三郎に対し、お通の母が彼の鍾愛する鸚鵡の「琵琶」を空に放ち、脱営してでも出征前にお通に会っていくように告げる。きっと逢いに行くと誓ってお通の幽閉先におもむき、番人の老爺を殺して再会を果たした謙三郎だが、その場で捕われ、二ヶ月後、脱営と殺人の罪で銃殺される。夫・重隆に伴われ、その様子を見せ付けられたお通は、気丈にも平静を保ち続けるが、里帰りを許されて実家で過ごすうちに、その狂気をあらわにしていく。ある一日、「ツウチャン」と彼女の名を呼ぶ「琵琶」に導かれるように謙三郎の眠る墓地にさまよい出たお通は、重隆が謙三郎の墓を足蹴にし、唾を吐きかける様子を目にし、重隆の咽喉を食い破る。 明治29(1896)年、「国民之友」に発表された、日清戦争を背景とする作品。その内容ゆえか、昭和15(1940)年から刊行された岩波書店『鏡花全集』には収録されず、同じく収録を見送られた「海城発電」とともに、戦後刊行された『鏡花全集』第2刷以降、別巻に収められた。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日) |
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出演 菊川豊子 千代紀美 牧野知恵子 舘 範子 森 緑 / 演出 表川なおき |
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出演 数沢淑子 中島佳代 上田暢子 池川光子 市波純子 福山清子 塚本みどり 種本敏江 山本久美子 大谷万咲子 / 演出 高輪眞知子 |
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徳田秋聲『挿話』 徳田秋聲記念館学芸員 大木志門 |
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出演 高輪眞知子 / 演出 表川なおき |
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「町の踊り場」−「歌舞伎の老優の踊がふと見せる色気」のような作品 「町の踊り場」は、昭和8年3月の「経済往来」に発表されるや文壇に大好評のうちに迎えられ、徳田秋聲が「山田順子事件」以来のスランプから抜け出す画期となった作品である。以後、秋聲は『仮装人物』(昭和10年)、『縮図』(昭和16年)に結実する、晩期の活躍の時代へと入ってゆくことになる。 舞台は郷里・金沢、浅野川界隈の町々である。姉の死去の報を受けて帰郷した「私」(秋聲)だが、沈鬱な喪の家を抜けだし、「腥(なまぐさ)い」食べ物を求めて甥に教えられた店で鮎の魚田を所望するも、結局「生きた鮎」を得ることはできない。翌日は湯棺に立ち会い、火葬場で骨を拾った夜に一人で町を彷徨い、同郷の小説家「K―」(鏡花)が生まれ育った町にダンスホールを発見する。ざらざらするタタキの床を気にしながら踊った「私」は、客の若い男の「エロ味の露骨な、インチキで荒っぽい踊り」を横目に、爽やかな気分で眠りにつく。 作中のダンスホールとは、当時下新町裏通り(現・尾張町2丁目)にあり、昭和6年に塑像家の水野朗(「M―氏」として登場)により開設されたものだ。水野はのちに加賀象嵌の十代目・水野源六を継いだ人物だが、当時はアメリカ帰りの気鋭の芸術家であった。また秋聲が鮎を求めて得られなかった店が、尾張町の料理旅館「まつ本」(昭和5年創業)である。 古都金沢を舞台に、生と死、伝統とモダンが明滅する秋聲の短編小説の代表作。その筆致は、さらりと書き流したようでありながら、川端康成の時評(「三月文壇の第一印象」、昭和8年4月「新潮」)の表現を借りれば、「歌舞伎の老優の踊がふと見せる色気のやうなもの」を漂わせ、読むものを誘惑してやまない。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 徳田秋聲記念館学芸員 大木志門) |
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出演 岡田ユリ子 石井庸子 向井理恵 舘 聖子 原 夏美 奥波満智子 中井史花 五十川千枝子 大嶋文子 津雲京子 樋口なおみ 高輪眞知子 / 演出 高輪眞知子 |
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「母捨て」の文学−徳田秋聲「感傷的の事」 「感傷的の事」は大正10年(1921)1月、雑誌『人間』の巻頭に発表された。これは前年11月に文壇をあげて祝された「花袋秋聲生誕五十年祝賀会」を記念した特集への寄稿であった。 描かれるのは、母タケの死の前年である大正4年に金沢に帰郷し、生前の母に最後にまみえた日々である。明治維新以来、没落の一途を辿った徳田家だったが、この頃すでに父・雲平は世になく、子供たちも方々へ散り、残された母は材木町の親戚宅へ寄寓していた。主人公の「私」は、十年ぶりに金沢へ戻るが母との感情の疎隔は埋まらない。物語は、上京する「私」を追って人力車に追いすがる母の姿を活写し、「そして来ることの余りおそくて、別れることの余り早いのを、深く心に悔ひながら、永久の寂寞のなかに彼女を見棄てた。/其れが生きた彼女を見た私の最後であつた。」との述懐で結ばれる。 浅野川の対岸の町に生を受けた泉鏡花の文学を「母恋い」と呼ぶなら、果たして秋聲のそれは「母捨て」の文学と言うべきかも知れない。あたたかな慈母を棄て、あたたかな故郷を追われるように出た秋聲にとって、「帰郷」とは過去の「棄郷」の記憶と邂逅する事に他ならない。その秋聲が母の喪失体験を呼び起こし、再び郷里金沢を哀切に見据えた佳品である。(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより 徳田秋聲記念館学芸員 大木志門) |
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出演 川坂悦子 庄田ます枝 百川とし子 太田恭子 嶋田幸江 小坂孝志 高見よ志子 山本和子 米澤晶子 松田英子 金子益子 野村美智子 高木久子 村中登美子 池田邦子 高輪眞知子 / 演出 高輪眞知子 |
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