秋の寺院めぐり 案内 小林輝冶氏 | ||
2005年11月20日(日)14:00 | ||
初冬の候、ううぅ〜さぶさぶと思いきや、この日はちょっぴり暖かった。毎度毎度お忙しい中、お願い致しております小林輝冶先生(金沢湯涌夢ニ館館長)の案内のもと、賑々しく寺院巡りが開催されました。 | ||
散策コース紹介 | ||
ツアー参加費500円 なべ「太郎」 参加費3500円(飲み代別) 浅野川倶楽部 集合 → @ 西養寺 → A 真成寺 → B 龍国寺 C 妙国寺 → D 全性寺 → E なべ「太郎」(食事会) |
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14:00 倶楽部出発 |
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ひがし茶屋街 私達は観光客なのだ。 |
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徳田秋聲の姪っ子さんの旧家 |
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五木寛之氏がここはうまいと 絶賛する加登長 |
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←菅原神社前にて置屋の客引きのお話を伺いました。 | ||||
宇多須神社前→ |
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@
清澄山 西養寺 【天台宗】 |
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おい、助さんや。 |
なんじゃい角さん。 ほう、そうかい。 |
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「えっさえっさっ・・・」 夏の散策ツアーを思い出す長い階段。 これなにこれなに? |
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どうぞお上がり下さい・・・と導かれるまま、おじゃましま〜すと。 |
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緑の作務衣を着ているのが西養寺奥さん。天井には宝泉字と似ている大きなボンボリがある。確か主計町の源法院にもあったはず・・・。この訳分かる人は教えて下さい。 |
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すごろくらしいよ。スタート地点がここ西養寺なんだって。小林先生も「気が付かなかった」とくやしがられていました。 | ||||
ほほう、なかなか 勉強熱心な姉ちゃん 達じゃのう・・・。 |
そうだと・・・ いいのじゃが・・・。 |
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みなさん、こちらが「釈迦出山図」でございます。 | ||||
じっと見つめていると、目が動き、口が何か話しているように動くそうだけど・・・ためしに見てみて・・・。 | ||||
「ゆうれい釜」 亡くなった筈のお婆さんが地下より、この重い釜を持って家族の前に置いた・・・。 毎度そうなんだけど、写真ばかりとってて肝心の説明が十分に聞こえていないので・・・誰か教えて下さい。 |
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月組ひろみ すみこさんには負けられないわ・・・。 |
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井戸です。 ぜひとも教えて下さい。 |
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なお助は 写真とってばかりで 奥さんの話きいとらん ようじゃの。 |
姉ちゃん達、 なお助が聞きそびれ とるところ教えてやっ てくれんかのぅ・・・。 |
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ひろみ・くみこ・さっち・よしこ (笑顔がすてき) |
幽静な庭の・・・(感傷的の事より)。 |
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これぞ日本男児!夏の寺院巡りは浴衣姿で涼しげにダンディだったけど、秋は渋くさわやかに・・・雪組しげさん。自慢の歌声は忘年会までおあずけ・・・。 | ||||
ここで一句。 「秋風に 揺れるこころは 赤きいろ」 夢組みよさん宜しければ・・・↓ 「 」 |
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紅葉がきれいじゃったよ・・・。 | ||||
「うわあぁ・・・すご・・・」 展望が開ける。このエレガントな女性はどなた?虹組きみさんに見えるけど・・・むむ稽古場のきみさんとは雰囲気がちがう・・・。 |
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「ちょっと、待って待って」と奥さんが、おすみさんが忘れてきた傘を持って、追って来てくれた。この写真は、さっきの井戸水が流れ込んでいる場所らしい。 |
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A
妙運山 真成寺 【日蓮宗】 小松城主であった丹羽長重が尊宗していた鬼子母神を安置。寺所有の産育信仰資料966点は重要有形民俗文化財指定。初代中村歌右衛門の墓や加賀蒔絵の祖・五十嵐道甫の碑、人形供養塔などが建っている。泉鏡花「鶯華径」の舞台。 |
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この坂・・・冬はきついだろうな・・・。えっちらおっちら、みんな頑張って登ったのだ。 | ||||
柘榴寺(ざくろ寺)と呼ばれる真成寺。石段そばに「鬼子母神碑」が建っている。背後には柘榴の木々が見え、当時の鏡花の心情を探る・・・。 | ||||
加賀蒔絵の祖 五十嵐道甫の碑? |
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人形供養塔? |
柘榴の実
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おもむろに懐より封筒を取り出す 小林先生・・・。 |
ほんぽ初公開! 摩耶夫人だぁ。 |
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泉鏡花「鶯華径」より 鬼子母神様は母様が御信仰なすった、さうしてあの佛様は小兒を守って下さるんだつて、いつでもおつしゃつたから、始終遊ぶのに来て居たところで、また皆が鬼子母神様のお乳だつていつて、門の柱がくしの鐡の釘のふつくりした圓いもののついた頭を、戯れに吸ひ吸ひした。 |
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B
祥雲山 龍国寺 【曹洞宗】 |
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寺の登り口で龍国寺の奥さんに呼び止められる。 |
ああなんだ、やえこさんじゃないか。やえこさんは、龍国寺のご近所さんだっだ。 |
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茶室があった。 |
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こそこそと何やっとるがや〜。 |
加賀友禅の始祖・宮崎友禅斎の墓 |
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あっち家?ああん? なんじゃと〜。 立て札が左方向を指しとる。 ほな、行ってみよか〜。 |
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龍国寺の社を抜けて、さっきの登り口から石蕗の花(つわぶき)石段を登っていく。 |
つぼ?かめ?たぬき? ええい、ついてったろ〜。 |
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いいの〜 たぬき君は。 |
姉ちゃん達、 わしらのこと 見向きもせんかったからのう。 |
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というわけで・・・ |
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これが噂の八榮子邸だぁ! | ||||
お手製の焼き物からは仄かに光が・・・。大きなしいたけ、パン。なんか不思議な国のアリスのような気分じゃ・・・ここで書道教室やってるんだよね。みんな口々に「うわ〜す・て・き」を連発して、やえこさんの魅力にふれていくのだった。 |
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お茶菓子を頂きほっと一息・・・。 |
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こっち家 |
異国の感じ |
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毎月倶楽部で紹介している個人誌「鶏口」など、多彩なやえこさんは、自身のホームページも持っとるそうだ。ほなちょっくら出かけてみよか〜。 |
叶夢院(かむ・いん) http://www7.ocn.ne.jp/~comin/ |
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時間切れの為、回送。 |
C
日向山 妙国寺 【日蓮宗】 |
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D
妙貝山 全性寺 【日蓮宗】 |
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泉鏡花作「夫人利生記」より@ 其の前に、彼は母の実家の檀那寺なる、此のあたりの寺に墓参りした。 俗に赤門寺と云ふ。・・・門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹であるから、いづれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えあって、寺は名高い。 |
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大きなわらじ |
泉鏡花作「夫人利生記」よりA ああ、桶の箍に尾花がみだるゝ。此の麗らかさにも秋の寂しさ・・・ 樹島は歌も句も思はずに、畑の土を、外套の背にずりすべって、半ば寝つつも、金剛神の草鞋に乗った心持に恍惚した。 |
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あ |
うん |
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看板が大きいのでは |
お寺の方の話によると、彼岸に着物を着た男性が、中田家墓をお参りに来るらしい・・・。 | |||
葛野流大鼓の家、中田家の墓。鏡花の母・鈴は中田家の娘で、遺骨は鏡花が雑司が谷霊園へ納骨した。 | ||||
泉鏡花の墓(雑司が谷霊園・東京) |
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お参り中どこからかトンボが飛んできて献花にとまった。泉鏡花の絶筆小説「縷紅新草」に登場するトンボだと、あまりの偶然、鏡花の世界に深い感動を覚えました。 |
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E
なべ 太郎 |
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五木寛之句碑 「浅の川暮色」 森口は川に面したガラス戸を開けると、手すりに両肘をのせて、目の前の暗い並木の通りと、その向こうの浅野川の河面へ目をやった。川は光った銀色の網を打ったように小さな白い波を立てて流れており、対岸の古風な家並みが舞台の書割りのように黒いシルエットで浮びあがっている。 |
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付近の料亭で打っているらしい太鼓の響きが、風向きに応じて低くなったり高くなったりしながらかすかにきこえてきた。主計町は藩政の末から昭和初期まで花街として栄えた町で、明治末期の最盛期には茶屋の数五十、芸妓も百数十人あまりを数えたという。
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仲居さん達によそってもらいながら、 ぱくぱく食べる、食べる、食べる。 ちょこまか、ちょこまか、私の席はどこ? |
しげさん絶賛の太郎のなべ。 またワイワイやりたいね! |
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ここでもたばこを吸ってる。肺の中真っ黒だろう。 |
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五木寛之氏よりご了解頂き、金沢文芸館での開館式典にて「浅の川暮色」の一節を朗読させて頂きました。そして来春、浅野川倶楽部発表会(仮称)では、3/27(月)から3/31(金)の5日間、浅の川暮色全篇朗読をたば組まちこが朗読させて頂くことになりました。 | ||||
五木寛之作「浅の川暮色」 ちょっとだけ・・・。 | ||
「あたし、このままでは早崎さんか市村さんのお世話をうけることになりそうです」 「やめろよ、あんなやつら」 森口は目の前のみつの想像もつかなかったほどの見事な変りように、たちまち勝手な独占欲に駆られて言った。こんな綺麗な女は、絶体に渡したくない、と思った。 「でも、<しのぶ> にいる限り、いいえ、あの町にいる限り、それは断れないんです。<しのぶ> もいろいろとお金が要るものですから」 「じゃあ <しのぶ> を出ればいい」 「出たらどうしてくれますか」 「結婚してもいい」 「それは無理だわ」 もし正式にみつを <しのぶ> から引取って結婚するとすれば、<しのぶ> のおかみや菊也は、おそらくこれまでの養育費や教育費、それに芸者に出る際の支度の費用などを含めて一千万以上の代償を要求するだろう、と、みつは言った。 「そんな馬鹿な。そんなことが新憲法の下でできると思うか」 「憲法ではできなくても廓ではできるのよ」 「なぜ」 「もし森口さんが町のしきたりを破ってそんな無茶な結婚をしたとすれば、あなた自身のスキャンダルになるわ。この町の有力者たちが黙っていないし、新聞社や支局の立場だってあるでしょう」 森口は黙りこんだ。それは当然考えられることだった。いま東京へもどる道が開かれようとしている際に、そんな騒ぎは起こしたくなかった。 「じゃあどうする」 「あたしを本当に外の男に渡したくない?」 「ああ」 「本当に本当?」 「本当だとも」 「じゃあ、あたしを連れて逃げて」 「逃げる?」 「駆落ちするのよ、九州の博多にお友達がいるわ。一緒にそこへ逃げましょう」 「おれの勤めはどうする」 「やめてちょうだい」 「やめる?」 「あたしが働いて不自由はさせないわ。森口さんはいつか、自分はいつまでも新聞記者でいる気はない、そのうちシナリオを書いて独立するんだと言ってたでしょう?あたしが働きます。だから森口さんはシナリオを書いて。五年でも、十年でも、辛抱します。お願い」 「………」 「なぜ黙ってるの? あなたがあたしをいらないというのなら、早崎さんか市村さんのものになるわ」 森口は黙っていた。彼女にその考えがいかに甘いかを説明する気持ちもなかった。彼は頭の中で、自分にむかって、冷静に、と囁き続けた。そして東京でのジャーナリズムの活気のある渦の中で縦横に腕をふるう自分の姿を想像してみた。 「どうなのよ」 みつは下唇を血のにじむほど噛んで、じっと森口をみつめた。 「どうなの。言って」 「結婚はしない。社をやめるわけにもいかない」 森口は少し震えた声で言った。 「おれはジャーナリストとしてこれからやりたいことが山ほどあるんだ」 みつは黙って森口の口の動きをたしかめようとでもするかのように、じっとみつめた。それから、ゆっくりと顔をそむけ、かすれた声で、あんなことまでしておいて、と素早く言い、それから手すりにつかまってギプスをはめた患者のような足どりでゆっくり階段を降りて行った。指でひと押しすれば、たちまち下へ転落して行きそうな足どりだった。 「みつ!」 と、森口は彼女の背後から呼んだ。だが柴野みつは、いつかはじめて <しのぶ> で菊也に呼ばれたのを見た時のように、ひっそりと答えず、両手でしっかりと手すりを振りしめて降りて行った。 その時の森口の気持ちは、とても大事なものを自分は今決定的に失おうとしている、という感じと、それと同時に、何かこれで背中の荷が降りたようなほっとした感じとが重なりあった不思議な気持ちだった。だが、彼はそれ以上、彼女を追おうとはせず、ネオンの点滅する明りの中に長い間、立ちつくした。 |
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くらぶで一服・・・。 太郎を後にした浅野川倶楽部一行は、食後の稽古に励む為、くらぶに向かった!(?) |
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みんなでインスタントコーヒーのものも・・・。 |
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各組のみんなが一堂に会する機会も数えるほどだけど、この日も賑々しくおしゃべりしました。 |
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編集直記 | ||
みんな、おつかれっす!秋の寺院巡りも無事終わり、やっと編集直記までたどり着きました。今回の反省点は写真です。記録の為、ホームページの為とはいえ、カメラ小僧さながらに写真を取りまくって、みんな気が散ってあせくらしいんじゃないかなと気を使いながら、こそこそ撮っていると、肝心な小林先生の解説が聞けなくて・・・。太郎や倶楽部の写真は遠慮がちに撮った為、完全にぼやけてしまい不完全燃焼でした。「撮るときは撮る」と積極的に声かければよかったなと後悔しきりでした。 気を取り直して・・・。 この度の寺院巡りは、ゆるやかな日程を組んだにも関わらず、妙国寺は未見学となりました。理由は、出だしのひがし茶屋街でゆっくりしたのと、西養寺でのんびりしちゃったことが影響したからだす。西養寺を出たのが16時すぎで、太郎は17時に予約してあったから、急きょ電話して17時30分にしてもらいました。ええそこから、アップテンポで真成寺、龍国寺、ちょっと一服八榮子邸では、お茶菓子を頂き頂きしてやえこワールドを堪能し、もっとゆっくりしたかったけど、「赤門いこ」という小林先生に連れられ全性寺へ。太郎に着いたのは17時30分を楽に過ぎており、太郎前の五木寛之句碑の解説と、浅野川の夜景を眺める・・・そしておんぼら〜っと太郎に入場。なんかこうして1日を辿ると無事終わったとは言えんじゃないか。 再び気を取り直して・・・。 NPO法人格取得の話ができて、とても良かったと思いました。NPOの勉強会は後日行なうとして、よ〜しやるぞ〜って感じで盛り上がって、大きな第一歩になりました。山出市長の応援を受け、私達はやっぱりやるしかなかとです。地域文化発展の為、地域経済と連動した劇場文化の創造の道を歩まねばならんとです。みんなとなら実現できそう・・・涙。 |
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