兼六園の四季 〜おいでまっし金沢紀行〜
 
 
旅人 フクザクラ (*^o^*)/
 
 
皆さんこんにちわ〜(^o^)/
このコーナーでは、金沢の魅力をたくさ〜んお伝えして参ります!古き時代の名残りを残す金沢をご堪能いただき、ぜひ兼六園へも出かけてみてくださ〜い(^_^)(デスク)
 
       
  勉強中の私達です。このページ内でお気づきの点がございましたら
ぜひご教授頂けますよう宜しくお願い致します。
浅野川倶楽部事務局 Asanogawa@club.email.ne.jp
 



 
     

 
     
 

兼六園のすばらしい紅葉をご紹介したいと思います。

 11月下旬の兼六園は、紅葉の綺麗な彩りを楽しめます。霞が池の周辺を巡ってから、山崎山の方へ散策してみます。

 
 
H18.12.5記  フクザクラ(+^o^+)
 
     

 
 
  唐崎の松の対岸より

 徽軫燈籠を左手に見て、霞が池を通常とは反対に右回りに行くと、紅葉の時期のすばらしい風景に会えます。真っ赤な紅葉と緑濃い松の色のコントラストが美しく映えてます。
 
 
     
 
  小さな庭園

 途中、ちょっと目を凝らすと素適な場所があります。小さな滝が流れ、その周りに高低差のある樹木が植わっており、この一画だけでも完成された庭園のようで惹き付けられます。
 
 
     
 
  噴水の周辺

 春には桜の花びらで花筏を作っていた噴水の池も、紅葉に彩られてます。季節を問わず、行って見たくなる場所です。霞が池の水位が高いのでしょうか、高く噴水が上がっています。
 
 
     
 
  霞が池の鶴亀

 池の辺に戻ると対岸には、唐崎の松と蓬莱島が、雪づりと紅葉のそれぞれ美しい姿を見せています。鶴と亀に喩えられ長寿を現してるとのこと、素晴らしい景色です。
 
 
     
 
  徽軫燈籠周辺の紅葉

 琴橋の上は観光客の人気場所です。対岸の唐崎の松の雪づり方向から見た徽軫燈籠ですが、周辺の紅葉もよく見える、見落としがたい場所です。
 
 
     
 
  一番紅葉が美しい「山崎山」

 別名「もみじ山」と呼ばれる落葉樹の多い山の麓は、紅葉一色に染まってます。とても身近にある紅葉の名所です。是非、行って見て!感動です!
 
 
     
 
  落ち葉の絨毯

 梅雨時に深い緑の苔に覆われていた地表は、オレンジや黄色等の暖かいもみじ色の絨毯になってます。
 
 
     
 
  芭蕉の句碑
 「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」

 山崎山への階段の上り口に、石の句碑が建ってます。元禄二年(1689)、奥の細道の紀行中に金沢で詠まれた句だそうです。
 
     
   この句碑は、東山子来坂の宝泉寺より明治16年に移建されたとのことです。寺町蛤坂の成学寺と、蛤坂を降り右折犀川沿いにも、同じ句碑が建ってます。 この句が詠まれた場所ははっきりではないが、犀川大橋からではないかとも言われているようです。
 俳聖とも言われた芭蕉が、46歳の時、元禄二年に弟子の河合曾良を同行し、140日余り1900Kmの旅「おくの細道」に出た道中、金沢には10日間と一番長く逗留してます。市内にはゆかりの地が20箇所ほどあるとのこと、芭蕉めぐり散策も楽しそうです。
 
     
 
 
 
  曲水にも美しい紅葉

 左に鶺鴒島が見える辺り、水に写る紅葉が美しいです。山崎山の下に辰巳用水からの取り入れ口があり、霞が池までの細流が曲水といわれ、一年通して水位も流れの速さもほぼ同じとのことです。
平安時代の貴族達が曲水に杯を浮かべて詩を詠んだ風景が思い浮かぶ場所です・・・藩政時代にも、この曲水で雅宴が催されたかも知れません・・・とても風雅な場所です。
 
         

 
     
 

兼六園の冬の風物詩「雪づり」が始まりました。

 雪づりは、毎年11月1日朝、園内随一の枝ぶりを誇る「唐崎松」からはじまります。晴天の秋晴れとなり、雪づり作業開始を見逃すまいと朝9時過ぎに入園しました。園内には既に報道陣やカメラ撮影を行う一般の方々が唐崎松の周りを取り巻き、たまたま訪れた観光客の方も興味深げに高い芯柱を見上げ、先端での庭師の作業に釘付けになっていました。秋色濃くなった霞が池の周辺もまた目に止まる景色です。

 
 
H18・11・3記 フクザクラ(o^0^o)/
 
     

 
 
  唐崎の松の一番高い芯柱

 高さ15mの芯主柱の先端に、綱の太い束の横に止められた横木だけに足を乗せた庭師さんの姿があります。先端から四方八方に縄を投げ降ろし、放射線状に縄を張る「りんごづり」が始まります。
 
 
 
     
 
 

先端から降りてる縄の束

 唐崎松には10〜15mの柱が4〜5本建ち、夫々の柱の先端から数百本の縄が垂れ下がっています。この縄を先端の庭師が、少しずつ束にして引き上げるのですが、縄は大変な重さのはず、その力と技術に驚かされます

 
 
 
     
 
  先端から四方八方へ投げ降ろされる縄

 広がった枝ぶりの先々まで、平均に縄が届くように、地上15mの高さから重い縄の束を、四方八方に投げ下ろす作業は、まさに職人芸です。
 
 
 
     
 
  枝の合間で作業する庭師

 積雪が多く重くなって縄が切れないように、縄を張るときは少し緩く張るのだそうです。10名余りの庭師が散らばって枝に登ってます。各庭師がばらばらに張ってるように見えますが、完成した姿が綺麗な放射線状になるのですから、これまた職人芸です。
 
 
 
     
 
  放射線状になった芯柱先端の縄

 作業し始めてからまだ一時間足らずで、みごとに多くの縄が放射線状に降ろされました。眺望の場所、秋晴れの日、高い芯柱の先端でしか見られない兼六園の景色を、上にいる庭師さんに聞いてみたい気持ちでした。
 
 
     
 
  霞が池の対岸からの唐崎松

 まだ芯柱のみの雪づりですが、二本の柱にも雪づりがされ、全体で800本の縄が張られるとのことです。これぞ「りんごづり」の景色です。
 
 
 
     
 
  霞が池周辺にも紅葉

 本格的な紅葉は11月後半頃で、少し早いけれど、赤や黄色に少しずつ色づいてきた樹木が池面に写り、秋晴れの爽やかな散策が楽しめます。
 
 
     
 
 
  内橋亭を臨む景色

 手前のもみじの木は毎年、真っ赤に紅葉してくれます。まだ黄色の紅葉ですが、ここから見る内橋亭の風景はとても情緒あります。
 
 
     
 
  鶺鴒島も淡く紅葉

 霞が池にあり、新緑の頃も綺麗な島ですが、落葉樹もあり紅葉の頃に、この辺りから見る景色が美しいです。唐崎松を鶴に鶺鴒島を亀に喩えて、鶴亀の長寿お目出度い風景とされてますが、その亀の尻尾に喩えられてる石塔が、よく見える場所です。
 
 
     
 
  真弓坂の正面にも雪づり

 翌日11月2日、市役所通りからの入り口で真弓坂にある、二本の大木にも雪づりがなされました。園の外から一番綺麗によく見えるこの雪づりは、冬を迎える兼六園の顔のような気がします。
 
         

 
     
 

前回記事の室生犀星との関りの続きが、三芳庵別荘に! 
この別荘に、室生犀星の世話で芥川龍之介が
                    四泊五日滞在したことがあるそうです!

 芥川龍之介は大正13年5月に、関東大震災に遭い金沢へ避難していた犀星の招きで来沢し、犀星は知人の俳人桂井未翁の世話で、臨時に県庁の旅館許可を取って、三芳庵に宿泊させたとのいきさつが、自伝的小説「杏っ子」に、また、「王者の気分を味わった得意げな様だった」と、随筆「芥川君の印象」に書かれてます。すっかりこの宿が気にいった芥川は、早々に風流な宿に泊まれる喜びを親しい友人に絵葉書で伝えたとのことです。

 
 
H18・8・2記 フクザクラ(*^o^*)
 
     

 
    三芳庵別荘の正面外観

 翠滝東方の台地にある三芳庵別荘は、明治7年に園内は一般公開され、茶屋の営業が許可された時に、料亭として建てられ、三畳隅炉の茶室「三芳庵」があったことから名の由来が、今は本館、水亭を総称してるとのことです。
 
         
    玄関から入った間

 玄関から一足入ると、日常とは異なる雰囲気に溢れてます。年数を経た板戸の絵や、掛け軸など等、以前あった「三畳隅炉」茶室の名残かと感じる風情です。 また玄関には、茶人の座像が置かれ、お抹茶と主菓子を供えてあり、趣きあります。
 
         
    別荘の座敷広間

 この広間で、芥川龍之介は王者のような気持ちになったのでしょうか!
 
         
  小穴隆一宛の絵葉書より

「僕、今犀星先生の世話にて・・・(略)。まず十五畳の座敷、十畳の次の間、八畳の茶の間、四畳の玄関・・・略・・・全部自分のものになり居り候へば、それだけでも甚だ偕上の所、屋根を繞って老扶疎(草木の生い茂ること)樹間に瓢池を臨み、茶室の外には滝のある次第、風流おん察し下され度候云々」
 
         
    座敷からの風景

 左側に翠滝の上口があり、縁先からは滝が臨めます。
 
         
  下島勲宛の書簡より

「・・(略)。屋を繞って大樹扶疎、歿ど銭叔菖の画中にある想い有之候。是皆犀星老人の心配によるもの大いに恐縮に在居候。紅殻塗りの欄干によれば滝あり、新緑の間に落つ。老鶯処処、久しぶりにて俗腸を洗い申候。」
 
         
    座敷からの見える亭

 三芳庵水亭や夕顔亭が見えてます。静けさが、園内であることを忘れさせます。
 
 
     
    夏の装いのお座敷

 襖戸を外し、簀(す)戸を入れた夏の日本間は、涼しさをかもし出してます。夏の情緒ある建具は、心寛ぐ風情です。
 
         
 
  三芳庵別荘のお抹茶・主菓子

 お抹茶に添えられた主菓子は、季節の花で「蓮(はす)」が菓子名、白い蓮の蕾形には薄ピンク、薄グリーンが色付いて可愛い姿、白餡がほっこりとした上品な甘さです。本格的お茶席で頂いたような、贅沢なここちです。昼食時には松花堂弁当もいいかな〜。
 
         
 

自伝的長期小説「杏っ子」より

「公園の翠滝のうへに、三由庵の別荘があったがふだんはつかってゐない。楓と松よ椎のわかばにつつまれた、うすぐらい座敷に通ると、ひやりと動かない空気が人肌を刺して来て、芥川はくさめを何度かした。「これは僕にすぎたものだ、どうして借りたのか。」「未翁といふ老俳人がゐてね、その人が世話してくれたんだよ・・(略)。」・・・滝の音が障子とすれすれにひびいていた。・・(略)・・・。「この屏風だって大したものだ。」南蛮船の六枚折が窓際にあった。」

 
         

 
     
 

暑い季節は、兼六園の六勝の一つ「水泉」を感じてみましょう!
曲水を流れる水音、滝の落水の音、堰を落ちる水音・・・
                          色々な水音が聴こえてきます!

 今回、瓢池から三芳庵別荘への階段を上がり、蠑螺(さざえ)山(別名唐傘山)辺りから霞が池周辺を歩いてみました。歩きながら耳を澄ませれば、涼しげな水音があちらこちらから聴こえて暑さを忘れます。見て楽しむ花の季節とはまた違う、聴く楽しみがあります。

 
 
H18・7・25記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    瓢池から三芳庵への階段

「この階段では、左右からの違った水の音を聴きながら上ると楽しいよ」と教えられ、耳を澄ましてみました。上り口では左側から曲水の音が・・・中段では右側から滝の落水の音が・・・階段の上辺りでは、滝の落とし口からの音が・・・。こんな散策も素敵です。
 
         
    階段上り口では左側の流れを

 噴水池より流れてきてるよう、段差のある堰から落ちる水音が、ここで一層大きくなり、綺麗な涼しい音が響きます。階段を上る前に、じっと聞き耳たててると、周囲の方々にも「ほら、水音聴いてみて」と声を掛けたくなります。
 
         
    瓢池(ひさごいけ)の翠滝(みどりたき)

 階段途中では、右方向から高さ6.6mから落ちる落水の音が聞こえてきます。那智の滝を模したと言われ、滝の音に拘った11代藩主治脩公が、何度も石組を変えさせたとか、困り果てた庭師が上から大石を落としたところ、納得の音になったとか。そこで滝壺に目を凝らしてみると・・滝壺が無い?そうかあこれが良い音の秘訣のようです。
 
         
  瓢池・翠滝を舞台の犀星作品

随筆「名園の落水」
 「あの落水は、公園で一番いいところじゃないか。」さう思うと、名園を背景にしたせゐであろうか。あんな下らない落水が自分の心を惹くのも、おのづから自分にふさわしい好きなところを選んだのだと思った。

 「秋おそく落ち水聴くや心冴ゆ」
 
     

 
    右側には樹林間から
          三芳庵別邸の座敷


 階段上に建ってる三芳庵別荘のお座敷が、翠滝に迫り出してます。ずっと以前の夏の季節に、ここで私が習っていたお茶の社中が茶会をした時も、滝の音が耳に心地よく、樹木の涼しい風がそよぎ、瓢池や夕顔亭を見おろす景色に、まさに別世界と感じたことを印象深く覚えてます。
 
         
    霞が池の水門より出る流れ

 蠑螺山を左に見て池の方へ歩くと、右手に綺麗な流れが涼しげな音をたてて流れてます。霞が池の水門から堰を落ちて、時雨亭の方へ流れてるようです。その先を辿ってみたくなり、沿って歩くと、時雨亭の前あたりで右へ折れ、急に先が無くなりました。翠滝へ落水してたのです。翠滝の上口でした。
 
 
     
    霞が池の畔に「親知らず」

 蠑螺(さざえ)山の麓にある、崖が迫り、飛び石伝いの道です。これは、加賀藩の参勤交代の下街道の道中で、最も険しかった親知らず海岸を表わしているそうです。ここには大きな鯉達がたくさん集まっています。
 
         
    「親知らず」からの霞が池風景

 この方向からの霞が池の風景もまた見ごたえあり、池がまるで鏡のようで、映る景色も美しいの一言です。蓬莱島が左奥に見えます、島の形が亀に似てるので亀甲島とも言われ、その亀の尻尾に相当する石塔が小さく見えてます。
 
         
    その亀の尻尾に相当する石塔

 蓬莱島(別名・亀甲島)の尻尾あたりを望遠してみました。なるほど、石塔は亀の尻尾のように見えますね。この島は落葉樹も多く、四季折々に彩られた姿を見ることが出来き、紅葉の時期も大変美しく、待ち遠しい気持ちがします。
 
         
    蓬莱島(別名・亀甲島)の亀頭

 唐崎の松に向かって、突き立ってる大石が亀の頭に相当してます。唐崎の松の姿を鶴に例えて、鶴亀と揃った長寿の景色でもあるようです。蓬莱島とは中国の神仙説で、神仙人が住み不老不死の霊薬があると伝えられる永劫の島と言われ、大名庭の特徴だったそうです。
 
         
    内橋亭の反橋と小舟

 池上の六畳は、反り橋の優雅な橋掛けと切妻柿葺屋根の外景は、霞が池の四季折々の風情によく順応していて、池辺に欠くことの出来ないもののようです。小舟が見えますが何に使うのでしょうか?以前、明治42年頃、屋形船を浮かべる許可が出て、霞が池に「屋形船蓬莱丸」が浮かんだとか・・・。古き良き時代に想いが募ります。
 
         
    琴の音

 この小さな滝は、徴軫燈篭と虹橋の少し先にあります。虹橋を琴に見立て、燈篭は琴の軫(よこぎ)であり、水音を琴の音として聴くという楽しみ方です。感性で聴いてみると風情ある場所となります。
 
         
 

室生犀星と兼六園

 室生犀星ほど、兼六園を愛し、小説、詩、随筆、俳句に至るまで色々なかたちで作品にとりあげている人は他にいない。高等小学校中退後、公園下の金沢地方裁判所に給仕として勤めたのは明治35年、犀星13歳。おそらく、広坂通りから真弓坂を上り、翠滝がかかる瓢池を右に見ながら、紺屋坂を下り裁判所へ通ったのだろう。朝夕見馴れた兼六園の景は、犀星の深く心に刻まれ、作品に反映されたのでは。(兼六園全史・参照)

 
         

 
     
  梅雨の時節は苔が美しく!
ツツジが満開、濃淡の赤色と樹木の緑が映え合ってます!


 この時節は山崎山周辺が大変素晴らしく、この辺りまで廻る人が少ないのが残念で、一度知ると魅了される場所を紹介したいと思います。つつじが多い兼六園です。あちらこちらでつつじが満開になっており、緑の景色の中に赤系色が際立って、目に飛び込んできます。 
 
 
H18・6・25記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    山崎山辺りの曲水

 本当に美しい景色です!「兼六園で最も感動するところ」と絶賛する庭園学者もあったとか。もみじをはじめ、けやき、イチョウ等の落葉樹が多いことから別名「もみじ山」とも言われてるとのこと、昨年は素晴らしい紅葉を堪能しました。
 
         
    山崎山への斜面

 この辺り一帯はまさに苔の絨毯です。この苔は「コバノチョウチンゴケ」とかいう名だそうですが、園内にはまだ、ビロードの様な珍しい苔もあり、苔だけ観賞して廻っても楽しく、心が安らぎます。
 
         
    満開のつつじ

 山崎山を流れる曲水の周辺にもつつじが咲いてます。新緑の中では、ピンク色のつつじは可愛らしく、やさしい気持ちにさせてくれます。
 
     

 
    鶺鴒島の周辺

 山崎山から、鶺鴒島の側面にも満開のつつじが綺麗!鶺鴒島には、人間の一生の大事な三つの儀式が集約されてて、陰陽石が誕生を、相生の松が結婚、石塔が死をあらわしてるとのことです!  大名庭園には、世継ぎの誕生を祈り必ず陰陽石が置かれたが、ここの様に鳥居を構えたものはないようです。一度、正面から確かめてみてください。大変興味深い鶺鴒島です。
 
         
    園内には約1400本余りのつつじ

 つつじが咲きだしてから、本数の多さに気づかされました。園内の至る所に、赤やピンク、オレンジの色が折り重って見えます。
 かきつばたが終わっても、また次々と開花を楽める花が続きます。
 
 
     
    つつじの季節の徽軫燈籠

 厳冬の兼六園をご紹介させて頂きました昨年12月は、戸室石の石橋には莚がかかり、燈籠は雪の綿帽子を被り、霞が池には薄氷が張っており、厳冬の印象とは全く違った風景です。
 この季節もまた良いですね・・・。
 
         

 
     
  6月10日、
  百間堀を百万石まつりのメインイベント「百万石行列」が通りました。


 百間堀は、ツツジが満開で、濃淡のピンク色で彩どられ、お祭りを盛り上げるような華やかさでした。藩祖前田利家公が天正11年(1583)に金沢城へ入城し、金沢の礎を築いた偉業を偲んで開催される行列は、今年55回目です! 今年大きく改革された行列は、金沢駅鼓門を出発し、金沢城へ入城するもの。 百間堀では、目前では演技やパフォーマンスを観覧出来、紺屋坂を上る姿や石川橋を渡る様子も見られました。
 
 
H18・6・20記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    百間堀のつつじが満開です

 濃くなってきた新緑の中に、つつじの、濃淡のピンク色、白色の花がみごとに映り豪華です。行列の人達も、市内を回ってやっとこの堀通りにたどり着いた時、きっとこのすばらしい景色が目に飛び込み、元気をもらえるのではと思いました。
 
         
    百万石まつりの横断幕が
             見えてきました

 行列の先頭は音楽パレードです。消防音楽隊の元気な楽しい音楽が聞こえてくると、お祭り気分が盛り上がってきました。
 
         
    石川橋の下をパレードが通過します

 音楽隊や鼓笛隊、小学校音楽隊、バトントワラー等、元気な明るい行進が続きました。皆、本当に楽しそうに演奏し演技し、周りから拍手が興ってました。
 
     

 
    「ミス百万石」のオープンカーです

 振袖を着たミス百万石は、にこやかな笑顔で沿道の観客に答えていました。
 
         
    見事な「加賀とび」軍団です

 金沢市消防団連合会と子供はしご登りの、勇壮で華やかな軍団がやってきました。なにか心がドキドキワクワク踊りました。
 
 
     
    加賀とびの演技に息を飲みます

 目の前で見る演技は、息を飲むもので、華麗で勇壮な一つ一つの演技に、拍手喝采です。子供はしごも登りも、大人に負けずの演技に歓声が上がりました。
 
         
    珠姫御輿入れ行列

 徳川2代将軍の娘(徳川家康の孫)が、三代藩主利常にお輿入れをされた珠姫様の行列に、今年は公募で選ばれた利常公も参加です。当時珠姫様は三歳、利常公は九歳とのこと。
 沿道から沢山手が振られ「可愛い」との声援に、珠姫様も利家公も手を振り続けてました。
 
         
    藩祖前田利家の正室・お松の方です

 毎年、市内の二つのデパートから交代に選ばれるお松の方には、一人、手押し車の興し上で堂々とした気品が感じられ、聴衆が見守るなか見事に大役を果たされてました。
 
         
    加賀八家(かがはっか)の行列

 加賀藩政の最高役職を務める、本多家、長家、横山家、前田土佐守家、前田家(長種系)、奥村家(宗家)、奥村家(支家)村井家の八家で、いずれの家も1万石以上で大名格の家禄を有してたとのことです。馬上でないのが残念!大名格の行列らしい風格がほしかった!
 
         
    藩祖前田利家公役の高嶋政宏さん

 鎧兜がとても似合って颯爽とした利家公でした。先の本人会見では「石川県と言えば松井秀喜選手、今年の祭りは55回、背番号55の松井の様に力強く、しかも格好いい利家公を演じたい」との言葉通りに堂々と、役を大いに楽しんでる様子でした。
 
 
     
  百間堀」とは・・・
 開削は文禄元年(1592年)空堀だったが、寛永9年(1632年)辰巳用水を利用して水堀になり、明治44年 に堀が埋め立てられるまで、記録による長さ、百五十間(273m)幅四十二間だったとのこと、その後は馬車道、電車軌道、道路舗装等で大幅な改革を経て今日に至っています。

 泉 鏡花が生涯に一度だけ自殺を計った場所であり、まだ無名時代に事実を元の書いた作品である、「鐘声夜半録」の舞台でもあります。

「鐘声夜半録」より 
 百間堀と謂えば人は直に身投げを想ふ。何となれば、百間堀は旧の金沢城を回らせる繞繞繞らせるものなるが、古より幾多の入水ありし外に、曽て著しき歴史のあらざるなり。
 夜は弥々寂として、万有尽く熟睡せり」。冴えて響くは互の跫音、絶えず歩を進めて公園をいずれば」、百間堀は間近になりぬ。
 
         

 
     
  五月の兼六園は、多彩な緑色!
若葉、青葉の色合いの美しさに目を奪われます。生気が満々てます。
 

 5月に入ると園内の色は、大人色になってきてます。藤棚の薄紫、カキツバタの紫色、ツツジの赤等々に、新緑の濃淡様々な緑が広がってます。苔も日毎に緑濃く艶を増し見落とせませんよ。        
 
 
H18.5.23記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    藤棚が満開
        
 白い満天星が散り、ピンク華やかな楊貴妃桜が散った後、薄紫の藤の花が藤棚一杯に咲いてます。どの房も花一杯付け重く垂れてる様は華やかで気品あり、日本舞踊「藤娘」の舞台が思い浮かびます。(H18・5・8撮影)
 
         
    ツツジの咲き始め

 新緑の色の中に、赤がポツポツ見え始めました。4月頃この辺りは、福桜、十月桜、塩釜桜、菊桜で賑わってました。
一ヶ月ですっかり風景が変わってます。(H18・5・8撮影)
 
         
    曲水のカキツバタとツツジ

 カキツバタが少しづつ咲き始めてます。曲水の縁のツツジが薄紫で優しく、この場所はこの季節が一番美しいのではと思わせるほどです。
(H18・5・8撮影)
 
     

 
    新緑の中に真っ赤な「いろは紅葉」

 いろは紅葉は、春と秋に紅葉するとか、新緑の中に一際映えて色を添えてます。
(H18・5・8撮影)
 
         
    山崎山の麓

 楓が多く紅葉が絶景の山崎山麓ですが、新緑もそれこそ「緑いろいろ」で、曲水の緩やかな流れに、新緑の影が色々に写して見せてます。この辺りの苔の美しさもまた最高です。
(H18・5・22撮影)
 
 
     
    ツバキカンザクラに赤い実
          
 桜の開花を一足先に伝えてくれたツバキカンザクラの木々に、赤い実が沢山なってます。もしや「さくらんぼ」ではと期待し近寄ってみたら、固い小さな赤い実でした。でもとっても綺麗です。
(H18・5・22撮影)
 
         
    足元には小さな草花が広がってます

 徽軫灯籠の近くの足元には、淡白紫色「ヒメシャガ」の群生が満開です。園内では大木に目がいきがちですが、低木草花も多く、早春には一重の山吹がとっても綺麗でした。カタクリの花もあるように聞いてます。(H18・5・22撮影) 
 
         
    さざえ山の山頂からの風景

 内橋亭近く、右回り三回半の山、霞が池を作る為に掘った土を、盛り上げて作られたと言われてます。霞が池が鏡の様に美しく!池周辺が一目で見渡せ、正面には卯辰山が見えます。季節それぞれに、素晴らしい風景が見られ、冬、唐崎の松の雪吊が上方から見る景色はまた見ごたえあります。
 山頂には、赤青の戸室石で建てられた宝塔や、傘、座禅石、山裾には親知らずと言われる場所等、色々興味ある場所なので、またの機会に画像等掲載したいと思います。(H18・5・22撮影) 
 
         
  鏡花作品で兼六園の舞台場所

鐘声夜半録  
お堀通り、百間堀が舞台。鏡花が生涯一度だけ自殺を計ったことがあり、まだ無名時代の事実を元に書かれた作品とのこと。

凱旋門  
雁行橋あたりと、明治記念之標と根上りの松の間辺りの二箇所。
   
伯爵の釵(かんざし)  霞が池(内橋亭近く)

龍胆と撫子  霞が池(蓬莱島近く)


 室生犀星には、瓢池の翠滝を舞台にした「名園の落水」があります。関東大震災を避けて金沢に帰っていた大正13年秋に、兼六園を訪れ、翠滝の飾らない美しさに感嘆して書かれた作品とのことです。
 
       

 
     
  一か月余り楽しませてくれた兼六園の桜の季節も終わりに!
今年の名木桜たちの姿を見て下さい!
 

 ソメイヨシノが散り初めてから咲き始めた、兼六園の名木桜たちの蕾や満開の姿です。兼六園熊谷桜、兼六園菊桜、福桜、塩釜桜、楊貴妃、そして菊桜等、それぞれの桜の美しさ華やかさを、画像で楽しいで頂ければと思います。(旭桜は前回に掲載)
 
 
H18・5・3記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    「兼六園熊谷桜」の満開

 これは4月22日の来園時に、旭桜の満開と一緒に眺められました。旭桜の白さに比して、兼六園熊谷桜は濃紅色で、緋桜の艶な姿です。樹齢300年と言われ、水戸藩から贈られたと伝えられてるとのことです。
 
         
    「兼六園熊谷桜」
  枝にたわわなに花びらが


 千歳橋の近くの曲水のほとりにあり、曲水に大きく枝を張り、一重の牡丹色の花びらが美しく映ってます。
 
         
    「兼六園菊桜」がまだ蕾の頃

 兼六園熊谷桜が満開の頃は、兼六園菊桜はまだ蕾ですが、この桜は若葉が蕾と同時、若葉の薄緑と蕾みの濃紅色がとても綺麗で、満開かとみまごうほどです。
 
     

 
    「兼六園菊桜」満開です

 旭桜から1週間余り遅れて満開になりました。濃紅色の蕾が、咲くと薄桃色に変わってます。一つの花から300枚余りの花弁 が付いてるとのこと、菊の花のようです。国の天然記念物に指定されてます。
 
         
    出世茶屋前の「福桜」も満開

「兼六園菊桜」の後方に見えます。同時に出る若葉が錆茶色なので遠めには、花が終わったと間違えられそうで、満開だと見えにくいのが残念です。
 
 
     
 
  「福桜」満開の花びら

 遠めには地味な姿ですが近づいて見ると、八重のピンク色の花びらを沢山付け、華やかで旺盛な雰囲気があります。

(福桜?うちの記者にいたような・・・)
 
         
    「楊貴妃」が華麗です

 不老坂から上がってくると、はっと目に止まる満開の桜です。本当に華やかで綺麗です。桜ヶ岡の左手になり、ソメイヨシノが散った後に一際目立ってます。(5月1日撮影)
 
         
    「楊貴妃」の花びらです

 思わず近寄り、満開の花びらの下に入ってみると、優しさが一杯です。薄い桜色の優しげな花びらは、素適な名前にピッタリです。
 
         
    真弓坂にも、満開の桜と椿が

 5月1日頃の真弓坂は、菊桜系かと思われる桜と大きな椿の木が満開で、それぞれの花が美しく咲き誇る華やかな、兼六園の入り口となってます。
 
         


 
     
  散る桜、満開の桜、まだ蕾の桜と、園内は今、それぞれの見ごたえあり!

 来園した22日には、散り始めた花びらが、曲水に花筏を、苔の上には花絨毯を作ってましが、待ってた一本桜の名木桜達が咲き始めました。「旭桜」「兼六園熊谷桜」と菊桜が満開です!さすがに見事で豪華です。まだ蕾の「兼六園菊桜」も薄緑の若葉と、沢山の濃紅色の蕾の色合いがとても綺麗で、見ごたえあり、「もう葉桜?花は終わったの?」との声に、思わず「これからですよ!」と言ってしまいました。楽しみにしてる「福桜」も、赤茶の若葉の陰に濃紅の蕾が膨らんでました。

 今満開の旭桜は、泉鏡花の小説「桜心中」のモデルだと言われてます。犀川を挟んだ寺町の松月寺の大桜との「桜の精」の恋物語です。双方の桜の画像と、小説の一節を載せてみたいと思います。鏡花の世界に少しでも入れれば、また趣き違った花見になるかと思います。
 
 
H18・4・25記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    噴水池が桜の花筏に

 ソメイヨシノが散り出し、花弁がはらはらを舞ってます。緑の苔にの上にも、池の中にも可愛いピンクの花弁が一杯です。この噴水は、霞が池の水面との落差を利用して、140年程前に造られ、日本最古と言われてるそうです。自然の落差だけで造られてるので、池の水位により高さも変化し、通常は3,5m位とのことです。
 
         
    満天星(どうだんつつじ)も満開だよ!

 噴水池の近くの茶屋の前辺りに、大きな満天星が満開でした。その後方に山櫻系の満開の桜が見え、ピンクの桜に、白いスズランのようなドウダンの花が、新鮮で何んとも可愛いかったこと!噴水からこの辺りが、兼六園では最初に造られた、蓮池庭と呼ばれてた所とのことです。
 
         
    旭桜から千歳台の景色は桜色です!

 咲きました!旭桜が!その向うにも、兼六園熊谷桜の満開が見えてます。前回載せた同じ場所は、ソメイヨシノの満開時には寂しかった風景ですが、今は大変華やかでした。広々としたこの千歳台は、およそ180年前、12代藩主・斉広公がこの台地に、竹沢御殿という広大な立派な隠居所を建てられましたが、亡くなった後は取り壊されて一部は成巽閣として残されてるとのこと、左手の七福神山はその時に、御殿の庭として作庭されたとのことです。
 
     

 
    満開の旭桜は豪華です!

 兼六園の名木の一つと言われるだけあり、七本の幹に別れ、雄雄しく華やかに輝いてます。この木は二代目とのこと、初代はおよそ樹齢五百と言われ昭和12年頃に枯死し、今の木は横から出たひこばえが成長したらしいとのことです。手前の雁行橋(がんこうばし)は、11枚の赤戸室石を、夕空に雁が列をなして飛ぶさまになぞらえた名とか、また、石が亀の甲にも似てるので別名・亀甲橋とも言うそうです。
 
         
    旭桜の気品ある白い花弁

 山桜系の葉桜で、やや大きくて白色な花片が、密集して咲き誇ってる様は、桜の精が漂ってるようです。もともと初代の旭桜は、加賀藩八家の村井家にあったものを献上したものと伝えられ、運ぶ為に家50件余りを壊したとかの話もあるようです。
 
 
     
 
  桜心中のモデルの大桜

 寺町5丁目の松月寺にあり、樹齢400年程と言われ、国の指定天然記念物です。もともとは、三代藩主利常公が小松城内にあった1本を当時の住職に与え、松月寺に移植したと伝えら、別名「御殿桜」とも呼ばれたとのこと。枝は、寺の土塀を突き抜け歩道にまで伸ばし、藩主の行列も大桜の前では槍を伏せて通過したとのこと。
 鏡花の世界では、恋しい兼六園の旭桜への想いで、兼六園の方へ枝が伸びてるとのことです。
 
         
    樹齢400年のはなびらです

 ヤマザクラ系で、一重のかすかな紅色を帯びた白い花です。 開花は旭桜より少し早く、18日には、少し散り始めてました。歩道に伸ばした枝一杯に花を付け、その樹形はとても見ごたえありました。
 
         
    根元には注連縄飾(しめなわ)です

 樹の根元近くは太く、深く苔むして草や若木などが生え、何か手を合わせたくなるような神聖な雰囲気があり、その苔むした樹に触れてみると、樹勢の生命力が伝わって来るような気がしました。
 
         
  泉鏡花作「桜心中」の一節

 「あゝ嬉しい。此で思ひが届きました。堪忍して下さいまし、私は人間ではないのですよ。」
 「あ、貴女は?」
 「お化けではありません。」
 「貴女は?」
 「幽霊ではありません。」
 「貴女は?」
 「非常のものです、草木です、木の幻です、枝の影です、花と云ふのは、恥ずかしい、朧をたよりの色に出て、月に霞んだ櫻ですよ。」

             十五

 「私は江月寺の櫻です。」
 沈んだ顔が、ふと立つと、草葉の影を想わせた、其の顔の色が甦つたやうに暗い中に浮いて、ものに魅せられた如く、裳は緊つて、肩が震えて、
「私は、影です、幻なのです。」

 ですけれども、この櫻は名木です。間の犀川と云う大川一つ隔てて居て、此の公園と向ひ合った、寺町と云う高い所に、其の江月寺の塀越に廣い町幅一杯に、下が犀川の其の清い流の崕に梢が届いて、幹は裲襠(うちかけ)の裾のやうに靡いて、枝垂れの枝は、振袖を捌いて居ます。その裲襠も振袖も、唯霞です、花片です、雪が積つたやうなんです。撓(たわゝ)な姿、優しい容は、星を翳しても月を乗せても、雲を被ても、倒れさうに重いんですが、思ゆゑ、恋ゆゑには、風に揉まれて散るのも厭はず、道を行く人の足に踏まるゝのも構はないで、地に膝を伏せるまで、男に両手を伸ばして居ます。
・・・・其の男は、こがるゝ人は、此の公園の富士見櫻が、それなんですって・・・

             略

 千年か、萬年か、命は男に捧げても、記念も名も胎つて居たのに、其の木が伐られて死ぬんです、滅びて了ふ、枯れるんです・・・

             略

 私は今夜、夫と思ふ富士見櫻に、別れを告げに、暇乞に、なごりを惜みに来たのです。君櫻は朧の中を、花の精が抜け出して・・・
 
         


 
     
  待ってたソメイヨシノが満開に!園内が華やかです!

 4月6日に兼六園の開花宣言が出て、10日に来園したところがまだ5分咲き程。12日に満開のニュース聞き、雨模様の日を避けて晴れた15日朝、待ってた満開の桜を愛でに出かけました。
 ソメイヨシノは満開です。菊桜類はようやく蕾が膨らんできています。少しすると、桜の花吹雪や花筏、桜絨毯が楽しめらそう、また2週間前後には菊桜種や名木の古木が満開となり、兼六園のお花見の楽しみはまだまだ続きます。
 
 
H18.4.15記 フクザクラ(^o^)
 
     

 
    金沢城公園の丑寅櫓より
       百間堀・茶屋通りを展望


 初めて丑寅櫓の高台から兼六園の景色を見た時、余りに素適な景色に感動でした。それ以来、お花見の道順の始めは、まずここに来ます。 パノラマで撮れなくて大変残念です。ぜひ来て見て欲しい場所です。遠くの山々の景色も嬉しいです。
 
         
    紺屋坂は桜が幾十にも重なってます

 兼六園下から紺屋坂を石川橋へ向かって上る途中、右手は桜のパノラマです。左手にはお土産やが並び、花見団子や焼きたてのお煎餅の匂いにがしてます。
 坂の名は、藩政期初期に藩ご用達の、舘紺屋という有名な染工がこの付近に住んでたことによるとのことです。
 
         
    望湖台より卯辰山を眺望

 望湖台の下斜面には桜の樹木が多く、華やかです。向うに見える卯辰山の桜も霞んで見え、兼六園の六勝(宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望)のまさに眺望ではと感じる場所です。
 
     

 
    雁行橋あたりの風景

 奥の方には、ソメイヨシノの大きな古木が満開です。他には桜が見えず寂しいようですが、2週間程で、手前の雁行橋手前の蕾の「旭桜」や、右手のお地蔵さんの茶屋の周りある「塩釜桜」や「福桜」「熊谷桜」が咲き出します。
 
         
    花見橋から曲水沿いの桜並木

 曲水の流れにそって、満開の桜並木とかきつばたの新葉が大変、美しく映えてる場所です。雑誌等にもよく載ってる場所です。鴨が楽しそうに曲水にいます。桜の散り始めには、花筏が見られそうです。
 
 
     
    梅と桜が同時に満開

 成巽閣から歩いてきて、梅林の入り口で、ソメイヨシノが満開、側には、紅梅や白梅もまだ満開で、色とりどりで大変豪華な梅林になってます。
 舟之御亭や、時雨亭の側には、濃いピンクの枝垂桜がきれいです。
 
         
    翠滝と枝垂桜が合ってます

 日暮れ橋を渡って、瓢池(ひさごいけ)の真ん中の枝垂桜も満開です。玉簾をかけたような翠滝と、枝垂桜の姿がとってもマッチして素適です。
 翠滝とは、11代藩主が紀州那智の滝に模して築かれと伝えられ、夕顔亭からは正面に聳えるように造られ、絶好の観賞場所であるとのことです。静けさを強調する音を造る滝壺は、特別優れた築造手法とのことです。
 
         
    真弓坂では古木が満開の花で歓迎

 広坂通りから入る入り口では、桜並木は無いけれど、真ん中では、枝を大きく広げて沢山の満開の花を付けた古木が、みごとです。歓迎されてるようです。
 真弓坂の名称は、道が弓状であることや、「まゆみ」が生えてることに由来してるとのこと。春を告げる「まんさく」や菊桜、椿、サンシュ等があり、色々な樹木を楽しめます。
 
         
    蓮池門通りはお花見通り

 ぼんぼりが隠れるほどに、桜が満開の並木で、見ているだけでお花見の気分にさせてくれる場所です。

  利家が入城時はまだ原野で、金沢城が修築された頃に切り開かれ、第五代藩主綱紀が蓮池御亭(れんちおちん)を建てられると共に、瓢池(ひさごいけ)を中心とした蓮池庭(れんちてい)を造られて、今日の兼六園の基礎となってるとのことです。
 
 
     
   浅野川倶楽部の初公演の演目に、全部員参加の泉鏡花「滝の白糸」がありました。その台本には、「霞が池淵あたり、六勝亭と言う席貸しが・・・」との台詞があり、何処なのか気がかりでした。時雨亭や舟之御亭、内橋亭、夕顔亭は連池庭にあった藩主の御亭であり違うと思われる。

 藩侯の庭園であった兼六園が市民に開放されたのは明治4年、茶店の営業は明治5年からで、多い時には50軒以上もあったとか、その後整備され明治45年には今の14軒に整理されたとのこと。「六勝亭」はそれらの内の一つではと思われるが、実在の名称ではなく、鏡花は、多分兼六園の名称由来から名付けたのではと推量したくなります。
 「兼六園」の名称由来は、代12代藩主斉広公が奥州白河藩主松平樂翁定信に園名を依頼された。中国宋時代の李格非の「洛陽名園記」から、「相ひ兼ねる 能はざるもの六つあり」宏大を務むれば、幽邃少し。人力勝れしは蒼古少し。水泉多きは眺望難し。この六勝を兼備するとの意からつけられたとのことです。
 鏡花は、他にも兼六園を書いてます。名桜を桜の精に描いた恋物語「桜心中」です。
 
         


 
     
  桜の開花宣言はまだだけど、早咲き桜が!咲いてます!
 
  園の外周りを歩いてみると、兼六坂や百間堀沿いに、ツバキカンサクラやカラミサクラが開花してます。ソメイヨシノはまだ蕾ですが、ぼんぼりが並んでる通りは、ほんのり明るく、ピンク色になってきてます。それに、桜だけではなく、赤い椿やサンシュの黄色なども、園に彩りを添えてます。いよいよ、お花見です!心わくわくです。 
 
 
(H18・4・4記) フクザクラ(^o^)
 
         
   

兼六坂にツバキカンザクラが華やか

 兼六園下から小立野への上り坂で、華やかなに咲き出してます。車の往来が多い坂だけど、歩道には通る人が少くて、大勢に見てもらえないけれど、精一杯に咲き誇ってます。向側には、卯辰山がひろびろと見えてます。

 
         
    ツバキカンザクラの愛らしい花びら

 やはり、近寄ってみたくなりました。本当に、柔らかで、ほんのりしたピンクが優しく、思わず「可愛い〜」と声がでました。
 
         
    百間堀沿いにはカラミサクラが

 石川門が後ろに見えて、素適な風景です。白っぽい花なので、少し寂しく見えますが、全体の風景の中では、明るく映えて綺麗です。
 
         
    蓮池門通りの桜並木

 お花見の気分になるような景色になってます。

 蓮池門は、藩政時代には正門だったとのこと。蓮池門通りに、江戸町が無くなった後、藩主が乗馬の練習された馬場が、幕末迄あったとか。真っ直ぐな道だよね。

 
         
    目に止る真弓坂の桜
       
 真弓坂を入ってすぐに、みごとな桜の木に感動です。この辺りに、他に桜の木がなく、松や緑が多いので、桜色が一層映えて、目を引きます。
 
         
 
  花弁もたわわ

 開いた花びらや蕾が、枝にたわわに可愛く寄り添ってます。満開になったら、もっと旺盛で華やかになるでしょうね。
 
 
         
    冬枯れ木が黄金色です

 桜の木の右奥に、大きな古い樹木と若木が、黄色い花を付け、春を一人締めしてるように、そこだけがひときわ明るくなってます。10、11月には赤い実をつける「サンシュ」の木です。
 
         
    椿とサンシュと苔の風景

 サンシュの木の手前に、赤い花をつけた椿が咲いており、苔の緑と、それぞれ色合いがマッチした、素適な景色に出会えて感動です。
 
         
    広坂通りにもぼんぼり

 広坂通りの辰巳用水沿いのソメイヨシノは、まだ、蕾が固いようです。用水には鯉も放流され、夜にはぼんぼり点燈され、開花待つばかりに。
 
         
 
  春爛漫の生菓子

 真弓坂から広坂通りへ出てすぐの生菓子屋さん・お福久軒で、春の珍しいお菓子を、色々見つけてしまいました。苺の果汁と生苺が入ってる「いちごふくさ」、21世紀美術館の建物をイメージした「kashi21」等々、どれもこれもと迷い、一つづつ買うことに。

 
         
         


 
     
  梅林は人混みで一杯です!

 三月も後半になり、暖かい陽ざしで、梅林は花盛りに、20種類、200本余りの梅木が咲き初めてます。白梅の「白加賀」、幹が青み帯びていることから付いた「青軸」、濃いピンクの「摩耶紅」、あと開花楽しみな「道知辺」等、木札を見ながらそれぞれの品種を観賞出来ます。園は、白、ピンク、濃い紅等で彩られ、多くの人達が早春を楽しみながら散策してます。
 
 
H18.3.28記  フクザクラ(^o^)
 
         
   

白梅の花びらに・・

 虫が一心に花びらの蜜を吸ってます。きっと、甘い蜜なのでしょう。その姿が可愛くて、花と虫の風景は暖かい季節を感じます。
 白い花ですが、木札は「白梅」でなく「白加賀」とかかってます。

 
         
    梅の花色が重なりあって

 手前に、まだ開花というよりは、大きく膨らんだ蕾が薄黄緑色で明るく綺麗で、その奥の方には、紅梅のピンク色が折り重なって見え、梅林の華やかさの始まりです。
 
         
    舟之御亭が梅林の真ん中に

 御亭からは、梅林を見渡せます。用水が側を流れ、有名な燈篭が直ぐ横にあり、屋根付きの舟に腰かけての観賞も、なかなか風流でいいよ。
 柿葺の屋根、桧板の腰壁腰板、御影石の床、そしてアテや栗木も使用した贅沢なお舟だよ。
 
         
    時雨亭の庭園も春です!

 時雨亭のお庭にも白梅が咲き、側には素適な燈篭があり、奥には滝が見え、縁先に座ってると、時間を忘れそう・・・。
 時雨亭の庭地には、雪見、道善寺形、織部形、宋易風と言われる、4基の石燈篭があるとのこと、それぞれを観賞するのも楽しみかも・・・。

 
         
    長谷池の滝

 時雨亭の縁先から、長谷池に落ちる滝が見え、左下に置かれた小さな雪見燈篭が可愛く、また腰を落ち着けたくなる素適な風情です。見えるのは女滝で、左寄りに男滝もあるとか。対とは、一層素適に感じられた。
 
         
 
  本格的茶室でお抹茶を

 今日は、お抹茶と主菓子(おもがし)・菓子名「春かすみ」を頂きました。季節の名がついたお菓子は、黒文字を入れるのが惜しいような、愛らしい姿で、また、まったりとした上品な甘さは、お抹茶を一層美味しくしてくれました。
 床には掛け軸が掛けられ、茶花が生けられて、風炉にはお釜が置かれ、風炉先や水差しが飾られて、お茶席の風情を堪能出来るのが嬉しいです。多くの若いカップルや娘さん達が、お抹茶を楽しんでる姿が印象的でした。
 
         
  舟之御亭・時雨亭
 二つの亭とも、蓮池庭園にあった四亭の一つで、夕顔亭は現在地に、内橋亭は場所変えて霞ヶ関へ、そして舟之御亭と時雨亭は失われたままだったが、平成12年に梅林に再建された。

梅林・長谷池
 私には、長谷池から梅林にかけて以前は、児童苑であり、またメーデーの会場だったとの記憶がありました。梅林になったのは、昭和43年に、明治百年記念事業として全国の名木を(白梅が200本以上、紅梅は50程、20余りの品種)集めて造成された。
 それ以前、明治維新後は、梅林から長谷池にかけては、第2代金沢市長を務めた長谷川準也が住居を構え、桑園を研究し栽培してたとか、明治後期には、跡地と呼ばれた空き地ができ、野外催事会場となり、昭和4年5月1日には、石川県第一回メーデー集会が、此処で開かれたとのこと。
 その後もメーデー会場とされていたのだ。藩政期頃はどうだったのだろうか?!興味が尽きない場所である。
 
 
     
         


 
     
  いよいよ春です!梅の香りがかすかに匂ってきました!

 
3月19日、明るい陽ざしに誘われて、兼六園の梅林へ甘い香りを期待して散策に出かけました。でもまだ、開花してる梅木が少なくて、匂うような香りと満開の華やかさは、もう少し先かなと、でも、木々に近づいて見ると、沢山の蕾がみんな大きく膨らみ「もうすぐだよ」と告げてるようでした。

 
 
H18.3.20記  フクザクラ(^o^)
 
   

満開の八重寒梅

 まだ寂しい梅林の中で、春の訪れを一足先に伝えるように咲いてる濃いピンクの花が華やかで、遠目からも見え、嬉しいかぎりでした。

 
         
    まだ固い青軸の蕾

 開花はもう少し先かな!でもうす黄色い蕾の姿が、とても可愛く綺麗でした。
 
         
    ちらほら咲いてる白梅(白加賀)

 陽ざしが多くあたる場所で見つけたよ!もうすぐ満開だね!
 
         
    もう散りそうなマンサクだけど

 時雨亭の庭沿いのマンサクは、もう咲き終わりに近いけれど曲水の傍で黄色が冴えて映り、まだまだ楽しませてくれてます。
 
         
    満開の冬桜

 梅林出て曲水のほとりで、冬桜が満開です!白い小さな花びらが青空に映えて、通る人を引き付け、「可愛い!きれいね〜」と皆、思わず撮影してたよ。
 
         
 
  出世茶屋で「兼六だんご」

 冬桜を楽しんだ後、園内の茶店で一休み、食べることも楽しみの一つです。今日は、花見団子にはまだ早いなと、出世茶屋で兼六団子を食べました。
 草と白の団子には甘みは無く、横にきな粉入りの砂糖が添えてあり素朴な味。茶屋の縁台で、景色を眺めながら食べる団子の味は、また格別でした。
 
         
    茶屋名「出世茶屋」

 先日(H18.3.7)地元新聞で「兼六園の出世茶屋」の記事を見てたのですが、「兼六園の乙葉松の側にたたずんでいる。・・・地蔵堂に関係が・・」等々と名前の由来迄が書かれていた記事の切り抜きが、ちゃんと店に貼ってありました。
 
         


 
         
  春めいてきたかと思うと、また冬を思わせる日だったりの毎日。
もうちょっと、厳冬の雪景色を観賞してみてくださ〜い。 
(2005.12.22撮影) 
 
 
   H18..3.14記 フクザクラ(^o^) 
 
   

虹橋の菅笠被った雪かき夫

 園内の全ての橋には、渡る人が滑らないようにと、莚が掛けられ、また除雪作業も頻繁にされてるようでした。
 菅笠は趣あり素適でしたが、赤いプラスチックのスコップは違和感あり風景としては少し興ざめでしたが、真っ白い世界での赤色は、非常に鮮やかで暖かく感じました。

 
         
    雪吊に積もった雪

 雪吊を施されてる枝葉が、それでも雪の重みで垂れ下がり、辛そうな状態です。
 雪吊の縄は、雪の重みで切れたり、また伸びきって雪解け後に弛んでしまってダラーンとだらしない雪吊風景にならないように考慮し、縄はピーンと張らず、少し緩みもって張られてるのですが、それでも今冬は心配でした。
 今冬新聞で、兼六園の樹木の雪下ろしの記事を読み、安堵しました。長い竹や竿で、雪吊の間から枝葉の雪を揺さぶるように落としていました。
 
         
    薄氷張る霞が池の
      内橋亭の佇まい


内橋亭
 もと蓮池亭内にあった四亭の一つで、鯰之亭ともいわれてました。
 藩政期、旧江戸町に藩主が乗馬の稽古をされる馬場が作られた時に建てられ、二間続きで真ん中に橋が架けてあります。
 明治七年に現在地へ移し、池中に突き出す形となりました。
 
     
   金沢城兼六園のライトアップ〜冬の段〜の時期、この場所が最高です!内橋亭の池中に突き出した室から、胡弓やオカリナが生演奏されます。その音色は、幻想的に浮かび上がる霞が池にすっかり溶け込み、感動で心が震えます。想像を超えるすばらしい景色と音色です。
 今年は2月3日〜12日午後6時〜9時に行われました。来年こそ、ぜひ堪能してみて下さい!

江戸町:
金沢城のお堀通りに沿った道に現在茶店が並んでますが、その昔は三代藩主・利常公へ徳川二代将軍秀忠公の息女・玉姫様がお輿入れになったとき、江戸からお供してきた数百人の、侍や侍女たちが住んでいた家が立ち並んでいたところです。玉姫様が二十三歳の若さでお亡くなりになったとき、江戸町はなくなりました。
 
         
    吹雪きの中・根上がりの松
 日本武尊の銅像の前あたりにあり、普段は何気なく通り過ぎてしまうのに、吹雪の中では、根をどっしり張った姿がりっぱで、際立ってました!
 

根上りの松
 十三代藩主・斉泰公が若松を植えられたと言われます。当時盆栽が盛んで、盆栽のようにとの思いからではと、植える時に土を高く盛り上げて根を覆うように植え、後から徐々に土を取り除いていったそうです。現在、40数本の根が地上2メートルにも達してます。
 「根が上がる」との名にあやかって、株をやってる方、商売の方、受験生方達が手を合わせることもあったとか!
 
         


 
         
  厳冬の兼六園の魅力をお伝えしたいと思います!   H18..2.20記 フクザクラ(^o^)  
     
   2月に入り、早雨水の日を迎え、あれほど積もった雪も街中ではほとんど見られなく、兼六園も今や、梅林では蝋梅、マンサク、サザンカが満開で、これから華やかな季節を迎えます。でも、今冬の兼六園は、雪の銀世界に包まれ、池には薄氷が張り、厳冬の景色は格別でした。  
     
     
 
蝋梅(ろうばい)2006.2.13
 
マンサク
 
         
     
   撮影した12月22日は、深い積雪に埋もれた、時々吹雪く日でした。園内は、莚の架かった橋の上を除雪されてる、菅笠姿の作業員の姿と、一人歩ける程の幅の雪道が一本ついてるだけで、宏大さを一層感じられました。音も!色も!匂いも!消えてしまったようで、シーンと静まり返えった幻想的な風景は、全く違う園の魅力があり、感動的でした。  
     
  雪を被った徽軫燈籠  
     
  「徽軫燈籠」

 この燈楼を中心とした景観は水泉の美として園内を代表し象徴となってます。形が琴の絃を支える駒に似ているところから名づけられたと言われてます。
 元々は両脚等長で池中に立ってたが、明治維新前後に何らかの理由で片足短くなり、現在地に移されたもの。高さ26,7m 笠は六角形の御影石で直径10,7m前方の虹橋は、琴柱に対し、この橋を琴に見たてて、別名・琴橋とも言われます。
 この橋は横から見ると2重ですが、赤戸室石の一枚橋で、長さ約5m、巾1,2mの石切橋です。(石切橋全国ランキング6位。黄門橋は4位、雪見橋は8位)虹橋の先に、城への水落と口があり、その水音を琴の調べとして聞くのも風情あり!
 
     
  薄氷に覆われた「霞が池」  
     
  「霞が池」

 園のほぼ中心にあり、周囲は364m、面積は約1,800坪、園内最大の池。12代藩主斎廣公が竹沢御殿を造営した時に開盤し、13代藩主・斎泰公が3回に渡り拡張し、現在の池となった。
 名の由来は、琵琶湖を模して作られ、向こう岸が霞むほど大きいとの意味からで、近江八景を取り入れたとする説があります。池中の島は、蓬莱島で、亀の形をしているところから亀甲島とも言われてます。
 
     
  雪吊の唐崎の松  
     
  「唐崎の松」と「夫婦松」

 13代藩主・斉泰公が、近江も唐崎から松の種を取り寄せて育てられたものです。地上1,2mで二つに折れた樹幹は、横に傾きながら低く池面を覆い見事な枝振りです。雪による傷み防ぐ雪吊方法は「りんご吊り」で、主柱16m、縄は800本です。蓬莱島の亀に対して、この松の姿を鶴に例えられます。
 他に園内の有名な松としては「夫婦松」があります。この松は、雄松(黒松)雌松(赤松)との寄木で、雄松は接合部から幹が太くなってることから雌松から栄養分を貢がれてたと言われ、妻の内助の功が夫の躍進に繋がるとの例えの説話あったが、雄松が松くい虫被害で平成15年に伐採され、現在は雌松のみに!

 
     
  花見橋からの曲水の雪景色  
     
  「曲水」

 辰巳用水の園取り入れ口の山崎山の下から、霞が池に入る細流をいい、長さ574m、巾4〜6m余りです。
 両岸には桜が植えられ、杜若、ツツジが霞が池まで続いてます。四季を通じて水嵩水流同じく、川もいっぱい同じ速さで流れるように、造られてます。曲水に架かってるそれぞれの橋の上流側と下流側とで、がらりと風情が変わり興味深い!
 
     
  石垣の雪模様  
     
  「石垣」

 石垣に積もった景色は、雪でモノトーン模様が浮かび上がり、雪が描く芸術です!
 金沢城の石垣は、石垣の博物館と言われるほどの多様な石垣の宝庫です。年代や、城壁要所等での違い等「数奇な石垣」の、石垣めぐりは大変興味深いものです!
 
     
  兼六園の桂坂口看板  
     
  「桂坂口」

 兼六園下から紺屋坂を上り、右手に石川門を見て、左手にある兼六園の入り口です。入り口入った右手に、大きな桂の木があったことから名が付けられた。園内1,2を争う老樹で、現在は横から孫樹、ひこ樹がでています。











兼六園の入り口は7箇所ありますが、季節や行事等により開門有無ある門もあり。

蓮池門
 百間堀に面して、現在「名勝兼六園」の石標が建ってる門。藩政時代は正門だった。白河樂翁筆の「兼六園」の扁額が掛けられていた。

真弓坂
 市役所通りから、石浦神社を右に見ての入り口。藩政時代、藩主や奥方様方がここから城下のお祭りや催し物を見物された。

随身坂
 金沢神社(県立美術館or県立能楽堂から)通り、右手に梅林、左手に成巽閣。門を入り、成巽閣の裏門(東大赤門のミニチュア)前あたりに、ビロードの様な美しい珍しい苔、「ヤマトフデゴケ」の群生地があります。右手の梅林は、昭和44年に明治百年記念事業として全国の名梅を集めて造成され、現在は200本、約20種類あり、2月末から3月末が花の見頃です。

小立野
 小立野から、左手に石川県立伝統産業工芸館、右手は山崎山があります。伝統工芸館は、石川の風土が育てた36業種全ての伝統工芸品が展示あり。山崎山は、楓樹の多いことから「紅葉山」とも言われ、すばらしい紅葉が!また6〜7月頃には、山裾に可憐な紫式部が見られます。

 他、兼六坂の途中に二箇所、上坂桜ヶ岡があります。

 
     





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