鏡花・秋聲ゆかりの散策ツアー   案内 小林輝冶氏・示野葉子氏  
  2005年6月26日(日)13:00  
  今年の梅雨は遅い?例年のようなジメジメは弱く、天候に恵まれ、初回倶楽部散策ツアーは心地よい梅雨風に吹かれ、小林輝冶氏(金沢湯涌夢ニ館館長)、示野葉子氏(鏡花解説ボランティア)、両氏の案内のもと、賑やかに開催されました。  
  散策コース紹介 小林先生より、事前に、泉鏡花作「縷紅新草」を読むべしとのご指示あり。  
  6/26(日)13:00 ツアー参加費500円 松光庵参加費2500円(飲み代別)
@ 静明寺 集合 (材木町) → A 泉鏡花句碑 → B 観音院 → C 寿経寺
D 宝泉寺 → E 蓮昌寺 → F 松本旅館 松光庵(食事会)
 
     

   
     
  ナオジェクト X  〜その時!浅野川倶楽部員たちが見たものは・・・〜  
 

平成17年6月26日、梅雨時期に入ったばかりの金沢・・・この日は晴天に恵まれ、程よく汗ばむ良い日和となった。通称「心の道」と呼ばれる散策コースは、現代を生きる私達に問いかけてくる・・・先人が残した文化、文学にみる金沢情緒・・・浅野川倶楽部員達は「心の道」の真髄を探るため、材木町静明寺に集結した。
車社会の波に呑み込まれた現代人、車窓越しに行過ぎる古き町並み、そこに生きる町人文化、どれも現代人が見落としてきた古き良き時代のなごり・・・この物語は、古都金澤への回帰を願う浅野川倶楽部メンバー達の情熱と愛と友情と飲み会と文学と感動のドラマである・・・(ナレーション田口ナオロヲ)

 
     
         
 
 

@ 守長山 静明寺 【法華宗】
徳田秋聲の家の菩提寺としても知られ、秋聲の小説にも登場する。昭和57年(1982)に東京で亡くなった秋聲の骨を当寺院に分骨し、井上靖氏の筆による徳田秋聲碑が建っている。また、加賀藩に仕えた学者安達幸之助など著名人の墓も多いことで知られている。

 
         
   
井上靖氏筆による秋聲
碑。
井上靖の筆になるその碑を囲む土塀には井上靖の手になる秋声賛がはめこまれている。


 
 
秋聲に想いをはせる小林先生。 示野さん共々、散策案内よろしくお願いしま〜す。
 
 
         
 
徳田家の墓
 


学者安達幸之助など著名人の墓。

 
 
とぼとぼ、とぼとぼ・・・。
 


ん?浴衣姿の粋な男・・・。

 
         

 
         
 
 

浅野川 (よりみち)
静明寺の墓地を抜けると「わぁ〜」部員達の歓声が上がり、目の前には浅野川の流れ・・・。車社会とはかけ離れた散策の魅力を発見。

益々気になるダンディズム・・・。

 
         
    登り坂
天神橋を渡りきってすぐ右、再び川沿いを上流へと向かう。50メートル程歩くと、小林先生は民家の前で立ち止まる。その瞬間!「え〜先生どこいくの〜!」部員達の思惑をよそに、小林先生は舗装されていない登り坂、言わば「けもの道」を登り始めた!何と味な演出なんだぁ〜っと、運動靴を履いて来なかった部員も黙々と登っていった。
 
         
    A 泉鏡花句碑 泉鏡花自筆
「はゝこひし 夕山櫻 峯の松」
 
         

 
         
    B 長谷山 観音院 【高野山真言宗】
本尊の11面観音は行基作の11面観音菩薩の末木を芋掘藤五郎が彫ったものと伝えられる。元和2年(1616)三代利常夫人(徳川二代将軍・徳川秀忠の娘)の発願により医王院が造営された。明治まで庶民の娯楽神事能が催された。
 
     
     
         
    森山 啓 句碑「市之丞と青葉」
市之丞は元気な声で青葉に笑いかけた。崖の上には、もう最前の男女の姿がなく、暮れなずんでいた卯辰山も、とっぷり暮れようとしていた。市之丞の肩に腕をかけて抱かれた青葉は、礼を言って微笑を返し、「十年間のことを、もっともっと話して下され。わたしもあとで話します故。」と言ったが、暑い涙があふれ湧く眼を、すぐに閉じて、ぐったりしたように市之丞の胸へ頬を寄せた。 (昭和31年6月)

 
         

 
         
   

C 光明山 寿経寺 【浄土宗】
領内に大地震があった安政5年(1858)米価暴騰に苦しんだ庶民が卯辰山から藩主に直訴。暴徒として5名が処刑され、2人が牢死したが、その供養に稲穂を抱いた「七穂地蔵尊」が健立されている。心岩和尚の弁財天画像あり。

 
     
         
    ひがし茶屋街

ここを舞台に、秋声は味わい深い短編「挿話」一巻を残している。
 
         

 
         
 
たまたまカップルが・・・失礼m(__)m
 

D 摩利支天山 宝泉寺 【真言宗】
本尊の摩利支天は初代利家の守本尊。二代利長の命により、加賀藩重臣であった冨田越後守重政が金沢城の鬼門に当たる向山の中腹に堂宇を健立、本尊を安置した。日本文学研究家であるドナルド・キーン氏も当寺からの落陽の光景を絶賛。

 
 
げげげ〜100mはあるだろう長い上り坂。この先に宝泉寺はあるはずだ・・・。
 
やっとの思いで上った坂だが、更にまた上り坂!ひえ〜比叡山、いや宝泉寺は高野山真言宗だ。
 
 


ぷは〜頂上到達!目の前は金沢を見下ろす大パノラマ。誰か〜生ビール持ってきてくれ!(枝豆も)

   
   
泉鏡花作「五本松」
幾年経るか、老松一株、丘の頂きに立って居るが、根から五本に別れて、梢が丸く繁っている。(中略)五本松は荒御霊の魔神の棲家であることを誰も知らないものはない。この神木に対して、少しでも侮辱を加えたものは立処にその罰を蒙るという・・・
 
  住職不在?慌てて敷地内を駆け回り住職を探す・・・部員の間に緊張が走る! 住職は、い・ず・こ・・・
 
すると突然、奥の間より住職が颯爽(さっそう)と現れたぁ!やった〜やった〜!お待たせしました、どうぞお入りください。住職はそう言うと、ウキウキ気分の部員らをよそに、扉という扉を空け、お着替えを済まされ、再び登場。
 
 

みなさん、ここまでの道のり大変でしたでしょう・・・これも難行苦行の末にたどり着かれたことと思います。この度は皆様とご縁があり、こうしてお会い出来ましたことは、ありがたいことです。ようこそおいで下さいました。
 
 
         

 
         
   

E 普香山 蓮昌寺 【日蓮宗
三代利常の生母寿福院の帰依所。金沢三大仏の一つで丈六の釈迦如来立像を安置。泉鏡花の絶筆小説「縷紅新草」の舞台。鏡花をよく助け、姉のように慕っていた目細てるの菩提寺でもあり、山内には俳人秋之坊の碑、利常の正室珠姫(天徳院)入輿の際、将軍家から派遣された多羅尾家の墓などもある。

 
     
 
私が金沢三大仏の1人、釈迦如来立像であ〜る!今後ともよろしくな。
   
   
今だぁ・・・さわっとけ〜さわっとけ〜!おいこら!わしは大仏だから動けへんのや。おい、足の指はやめてくれぇぇこそばいやんか、こそばいっていうとるやんけぇぇ・・・(涙)
 
   

目細てるのお墓。
鏡花が慕っていた女性・・・まさかここで会えるとは、すっごく感動した〜。我が浅野川倶楽部は旧橋場町だけど、下新町の通りのはなっぱしでもあり、鏡花の名作「照葉
狂言」には目細てる、湯浅しげさんをモデルにした女性が登場する。幼少から青年期までの鏡花像がここに・・・ぜひ読んどいてほしい・・・。

 
   
30cmという大きな葉に書かれた○○(聞き逃した教えて)、この葉は何ていう葉?(これも教えて)蓮昌寺住職不在の為、奥方様よりご丁寧な解説及び談話があり、みんなご満悦。
夏季散策ツアーは、たまたま坂道の多いコースで、ちょっぴりお疲れモード、いやムード。早くビール飲みたい、早くビール飲みたい。まるで呪文を唱えるように、一行は蓮昌寺をあとにした・・・。
 
         
         

 
         
 
小林先生、示野さん、ご案内ありがとうございました!燃料補給だぁ!ぱくぱくのみのみ・・・
 

F 酒菜処 松光庵
散策ツアーの最終目的地である料理旅館「まつ本」。徳田秋聲作「町の踊り場」の一節に登場する。しかし、薫り高き秋聲文学をよそに「よっしゃぁぁ、かんぱ〜い!」「ぷっは〜うめえな〜この一杯の為に生きとるんやぁぁ!」あふれる歓声、あふれるビールおっとっとっと・・・
「町の踊り場」(抜粋)

 
 
テーブルの上には鮎の塩焼き・・・これは非常にうまかったぞぉぉ、写真係で遅れて到着した直助は、余っていた分も合わせて2匹も食びた。でへ。
 
みんなで飲むとこんなに楽しいなんて・・・(ToT)
 
         




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制作 表川なおき
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