2007年3月24日(土)〜4月8日(日) |
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編集直記 | ||
朝早くに私は自宅から出発したのであったが、さていよいよ自転車に乗ってしまったとなると、朗読小屋を見るまでのわずか16分ばかりの時間が、退屈で待ち遠しいもののように思われた。もちろん幾日ぶりかで自転車に乗った私にとっては、そんなじめじめした気持ちさえ切り離せば、時候といひ自転車の乗り心地といひ、沿道の自然といひ、全て快適でないものはなかった。
それは晩秋から、ようやく初冬に移りかけた11月13日のことで、朝早くに自宅から出発した私は、何となく自転車のクッションになじみがたいやうな気持で、窓から流れるやや肌寒いおやじギャグに顔をしかめながら、物めずらしさうに、マスターの広い平原を眺めてゐた。(2005年11月13・14日ナオジェクト X 〜その時、日本家屋解体男が見たものは〜) 平成18年10月、私は春公演までの半年間お世話になるメンバーらと共に久保市乙剣宮を参拝した。初参拝の日はちょうど久保市さんの秋祭りが行われており、曖昧な一礼二拍手を済ませ巫女さんの舞姿に見とれていた私は、メンバーに小突かれて巫女さんへ頭を垂れた。頭上に降り掛かる鈴の音は、背筋に染み込むように凛々と清々しく、あまりの感動に私は茫然と舞姿を見詰めていた。この度は念願の鏡花先生の御作品を演出させて頂けるチャンスを頂き、私は鏡花世界に身を投ずる喜びと興奮とに酔ってしまっていた。まさに鏡花にかぶれた青年。巫女の舞に見とれていた私は再び仲間に小突かれて境内を後にした。 朗読が静かなブームと言われるようになったのは最近のことだ。ITブーム、デジタルブームとは相対した存在として、朗読はアナログブームとして静かな旋風を巻き起こそうとしている。20年前が古き良き時代と感じられるほど、日本の未来化は急ピッチで進んで行くが、私のような若者?でも、その速度にたじろぐほど日本列島は進化していくのだった。進化に対する老化とは・・・これは人間の永遠のテーマだ。「体の老いは、人の心をも老いで蝕(むしば)んで行く・・・それが問題なんだ」(戒厳令の夜 五木寛之著)私は五木先生のメッセージに深い感銘を受けた。 「感性」とは、積み重ねた苦行によって深みが増し磨かれて行くのだ。自身の眠っている感性を表現する場を求めて、私達はこれからも舞台に立ち続けて行くだろう・・・。
未熟の晩鐘 振舞うそれぞれに落日の影否めず 命の幽(かそけ)さを欲望の影認めず 遥か地平に彷徨う姿 たまには手紙を書いて下さい みぞれの捨て犬抱いて育てた |
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