2007年3月24日(土)〜4月8日(日)
 
 
 
  室生犀星作「小景異情」  
 
室生犀星記念館 学芸員 嶋田亜砂子
 
     
   「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」。だれもが一度は聞いたことのある「小景異情 その二」は、犀星が24歳の頃、詩人として世に出るきっかけとなった詩でもあります。大正2年、北原白秋の主宰する雑誌「ザンボア」ではじめてとりあげられ、発表されました。とはいえ、これが詩集『抒情小曲集』として出版されるのは、まだあと、5年も後のことです。ふるさとで詠んだ望郷のうた、という少し珍しい詩です。  
     
     
  室生犀星作「愛の詩集」  
 
室生犀星記念館 学芸員 嶋田亜砂子
 
     
   大正7年1月、詩人をめざして最初に上京してから8年、念願だったはじめての詩集『愛の詩集』を刊行しました。自らが主宰する詩の結社「感情詩社」からの自費出版でした。ここにおさめられているのは、ほとんどが大正5年から6年にかけて、27、8歳のときにつくられたものです。それ以前の文語体抒情詩がリズムや美しさ、優しさを特徴としていたのとはうってかわって、口語体による自由詩の形態をとって愛や人生をうたい、感情を直情的・情熱的に表現しているのが特徴です。
 詩集の自序で犀星は、「自分の詩の根本は苦悶で漲(みなぎ)つてゐる。自分の苦悶は永久で、泉のやうに無限であらう。」と述べ、また晩年には「これを編集するまでにどれだけの詩を埋没したか、その数は相当の多きに亘つてゐる。感激の世界が若さをつらぬゐていて、それが向ふ側に出られない悶えのやうなものが早くも詩の中では、どうにも現はれきれない有様を見せてゐる。」と語っています。苦悩をそれとして受け止め、悶え、表現することが詩であり、さらには、それが人生や自己を磨くのだとも捉えていました。
 
     
 
(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより)
 
     

 
 
 
  「町の踊り場」−「歌舞伎の老優の踊がふと見せる色気」のような作品  
 
徳田秋聲記念館 学芸員 大木志門
 
 


 
 

 「町の踊り場」は、昭和8年3月の「経済往来」に発表されるや文壇に大好評のうちに迎えられ、徳田秋聲が「山田順子事件」以来のスランプから抜け出す画期となった作品である。以後、秋聲は『仮装人物』(昭和10年)、『縮図』(昭和16年)に結実する、晩期の活躍の時代へと入ってゆくことになる。
舞台は郷里・金沢、浅野川界隈の町々である。姉の死去の報を受けて帰郷した「私」(秋聲)だが、沈鬱な喪の家を抜けだし、「腥(なまぐさ)い」食べ物を求めて甥に教えられた店で鮎の魚田を所望するも、結局「生きた鮎」を得ることはできない。翌日は湯棺に立ち会い、火葬場で骨を拾った夜に一人で町を彷徨い、同郷の小説家「K―」(鏡花)が生まれ育った町にダンスホールを発見する。ざらざらするタタキの床を気にしながら踊った「私」は、客の若い男の「エロ味の露骨な、インチキで荒っぽい踊り」を横目に、爽やかな気分で眠りにつく。
 作中のダンスホールとは、当時下新町裏通り(現・尾張町2丁目)にあり、昭和6年に塑像家の水野朗(「M―氏」として登場)により開設されたものだ。水野はのちに加賀象嵌の十代目・水野源六を継いだ人物だが、当時はアメリカ帰りの気鋭の芸術家であった。また秋聲が鮎を求めて得られなかった店が、尾張町の料理旅館「まつ本」(昭和5年創業)である。
 古都金沢を舞台に、生と死、伝統とモダンが明滅する秋聲の短編小説の代表作。その筆致は、さらりと書き流したようでありながら、川端康成の時評(「三月文壇の第一印象」、昭和8年4月「新潮」)の表現を借りれば、「歌舞伎の老優の踊がふと見せる色気のやうなもの」を漂わせ、読むものを誘惑してやまない。

 
     
     
     
     
  「母捨て」の文学−徳田秋聲「感傷的の事」  
 
徳田秋聲記念館 学芸員 大木志門
 
     
 

 「感傷的の事」は大正10年(1921)1月、雑誌『人間』の巻頭に発表された。これは前年11月に文壇をあげて祝された「花袋秋聲生誕五十年祝賀会」を記念した特集への寄稿であった。
 描かれるのは、母タケの死の前年である大正4年に金沢に帰郷し、生前の母に最後にまみえた日々である。明治維新以来、没落の一途を辿った徳田家だったが、この頃すでに父・雲平は世になく、子供たちも方々へ散り、残された母は材木町の親戚宅へ寄寓していた。主人公の「私」は、十年ぶりに金沢へ戻るが母との感情の疎隔は埋まらない。物語は、上京する「私」を追って人力車に追いすがる母の姿を活写し、「そして来ることの余りおそくて、別れることの余り早いのを、深く心に悔ひながら、永久の寂寞のなかに彼女を見棄てた。/其れが生きた彼女を見た私の最後であつた。」との述懐で結ばれる。
 浅野川の対岸の町に生を受けた泉鏡花の文学を「母恋い」と呼ぶなら、果たして秋聲のそれは「母捨て」の文学と言うべきかも知れない。あたたかな慈母を棄て、あたたかな故郷を追われるように出た秋聲にとって、「帰郷」とは過去の「棄郷」の記憶と邂逅する事に他ならない。その秋聲が母の喪失体験を呼び起こし、再び郷里金沢を哀切に見据えた佳品である。

 
     
 
(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより)
 
     

 
 
 
 
泉鏡花作「夜行巡査」
 
 
泉鏡花記念館学芸員 山本知行
 
 
 
 
 鏡花の名前を文壇に知らしめた記念すべき作品。明治28年4月に発表された『夜行巡査』は、『外科室』とともに激賞され、鏡花は一躍、新進作家の仲間入りを果たした。人間の不条理を顕在化し展開されるその内容から観念小説や悲惨小説等と称され、後の優美で幻想的な鏡花世界とは一線を画している。
 鏡花にとっても『夜行巡査』は思い入れが強い作品で、次のように語っている。「処女作といへば大ぎやうだが、初めて人様の前へ出したのが、二十八年のたしか四月に、文芸倶楽部に掲せた「夜行巡査」でありませう。いや是れに就いては苦労もいたしました、あの趣向をつけたのは二十七年の九月頃、舞台を牛ケ淵に取らうと思つて、まだ其頃は師匠の玄関に居たもんだから、一日暇を貰つて場所の研究に出かけました。」(『処女作談』より)鏡花は本作を、事実上の処女作と位置づけていたようである。『夜行巡査』は、職務遂行こそが全てで、そこには義理人情が入り込む余地がないと考える八田義延巡査が主人公である。物語前半は、老車夫や物乞いの親子に対する人間の感情を排除した機械のような八田巡査の非情なまでの言動を描き出している。そして後半は、八田巡査と相思相愛にあるお香と、二人の結婚を邪魔するお香の伯父が登場。偶然、夜回りの最中に八田巡査はその伯父があやまって堀に落ちるところを目撃する。八田は巡査の職務を全うするため水泳ができないことも顧みず、寒風吹きすさぶ中、溺れるお香の伯父を助けるため冬の堀に飛び込み、命を落とすのであった。
 
     
     
     
     
  泉鏡花作「外科室」  
 
泉鏡花記念館学芸員 山本知行
 
     
   明治28年6月、『外科室』は当時の有力な文芸雑誌「文芸倶楽部」の巻頭を飾り、水野年方の描く木版画の口絵が添えられた。鏡花が記した年譜には、「つゞいて「外科室」深夜にして成りて、文芸倶楽部巻頭に盛装して出づ。」とあり、口絵付で雑誌巻頭に掲載されたことを強調して書いている。一人前の作家として認められたことが、よほど嬉しかったのではないかと推察できる一文である。
 作品の素材については、「小石川植物園に、うつくしく気高き人を見たるは事実なり。やがて夜の十二時頃より、明けがたまでに此を稿す。早きが手ぎはにはあらず、其の事の思出のみ。」と後に述懐しているように、佳人を見た印象から創作意欲が喚起され、鏡花の心に内在する恋愛至上主義と絡まり、書き上げられた作品といえる。  『外科室』は、手術を受ける貴船伯爵夫人とその執刀医の高峰医学士が主人公。貴船夫人は手術台に横になった時、麻酔なしで手術するように頼む。麻酔をするとその作用で、心に秘めた事を譫言で言ってしまうかもしれないと強く恐れたためである。高峰医師はその願いを聞き入れ、麻酔なしで夫人の胸にメスをいれる。術中、高峰の「痛みますか。」との問いかけに、夫人は「否、貴下だから、貴下だから。」と答える。
 九年前、高峰と夫人は躑躅の咲き誇る小石川植物園でたった一度すれ違った。しかし、その一瞬で二人は互いに惹かれあい、その想いを心に封じ込めてきたのである。夫人は、高峰に対する想いが露見するのを恐れて麻酔を拒否し、ついには死に至る。高峰医学士も同日、夫人の後を追って命を絶つのであった。
 
     
     
     
     
  泉鏡花作「化鳥」  
 
泉鏡花記念館学芸員 山本知行
 
     
   鏡花の最初の口語体小説として重要な作品。鏡花は、樋口一葉の『たけくらべ』に触発され、明治29年5月以降、子供の揺れ動く内面を描いた『一之巻』から『誓之巻』の七編や『照葉狂言』等を相次いで発表し、『夜行巡査』に代表される観念小説から、鏡花独自の美しい浪漫世界へと作風を変化させる。その流れの中で『化鳥』も執筆された。その舞台は、鏡花が生まれ育った金沢の浅野川に架かる“橋”(現在の「中の橋」の場所に架けられていた)、幼い鏡花の遊び場とも重なる場所である。
 「明治三十年四月、宙外、後藤寅之助氏、新著月刊を起したる、其の首巻に「化鳥」を書く。」(鏡花自筆年譜)、後に“硯友社の客将”と目され、鏡花のよき理解者となる後藤宙外が編集を務めた雑誌「新著月刊」に掲載された。『化鳥』は、橋を渡る通行人から橋銭を取って暮らす心美しい母と子の物語である。廉少年は、ある日、猿とじゃれ合って遊んでいるうちに、あやまって川に落ちてしまう。溺れて意識が薄れたところを助けられた少年は、助けてくれたのは誰かと母に問いかける。母はその問いに対して「廉や、それはね、大きな五色の翼があつて天上に遊んで居るうつくしい姉さんだよ。」と答えるのであった。
 そこで少年は、“翼の生えた美しい姉さん”をあちこち探し回るが見つけられず、それは母なのかもしれないと思いつく。しかし、母には翼がないから違うのかもと少年の心は迷うが、「まあ、可い。母様が在らつしやるから、母様が在らつしやつたから。」という廉少年の言葉で物語は締め括られる。
 
     
     
     
     
  泉鏡花作「義血侠血」  
 
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日
 
     
   高岡から石動に向かう乗合馬車と人力車の競争に巻き込まれた水芸の太夫・滝の白糸は、馭者・村越欣弥の謹厳たる様子に心惹かれる。後日、浅野川の天神橋で偶然欣弥と再会した彼女は、彼の不遇と学問への高い志を知り、学資の援助を申し出た。欣弥は白糸に「決してもう他人ではない」と誓い、法律を学ぶため上京する。以来、これまでの奔放な生き方を改め、必死に学資を稼ぐ白糸だったが、三年後の夏の夜、やっとの思いで稼いだ金を南京出刃打に奪われ、途方に暮れて兼六園をさまよい歩くうち、不意に迷い込んだ家で心ならずも強盗殺人を犯してしまう。事件の嫌疑は白糸を襲った出刃打にかかるが、白糸も参考人として法廷に呼ばれる。そこで彼女が目にしたのは、志を遂げ検事代理して法廷に現れた欣弥の姿だった。事件との関わりを否定してきた白糸だったが、欣弥の諭すような尋問に、ついに自らの罪を自白する。欣弥は白糸を殺人罪で起訴して職務を全うするが、白糸に死刑宣告が下された日、自殺する。
 明治27(1894)年、「読売新聞」に作者名「なにがし」として連載された、鏡花のいわゆる「観念小説」の代表作の一つ。その自筆原稿には師尾崎紅葉による添削の跡がいちじるしく、同28年の単行本収録も紅葉との連名で行われ、当時は紅葉作とみなしていた人々もいた。川上音二郎によって「滝の白糸」の外題で舞台化されて以降、数々の上演を重ね、「新派の古典」として現在に至っている。
 
     
     
     
     
  泉鏡花作「琵琶傳」  
 
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日
 
     
   父の遺言に従い、許婚の陸軍尉官・近藤重隆に嫁いだお通。しかし、従兄の相本謙三郎と相愛の仲であった彼女は、婚礼の夜、夫に向かって「出来さえすれば節操を破ります!」と言い放つ。その様子に「きっと節操を守らせる」と嘲笑を浮かべ、お通に指一本触れずに彼女をそのまま田舎の弧家に幽閉する重隆。一方、お通の実家では、出征を明日に控えた謙三郎に対し、お通の母が彼の鍾愛する鸚鵡の「琵琶」を空に放ち、脱営してでも出征前にお通に会っていくように告げる。きっと逢いに行くと誓ってお通の幽閉先におもむき、番人の老爺を殺して再会を果たした謙三郎だが、その場で捕われ、二ヶ月後、脱営と殺人の罪で銃殺される。夫・重隆に伴われ、その様子を見せ付けられたお通は、気丈にも平静を保ち続けるが、里帰りを許されて実家で過ごすうちに、その狂気をあらわにしていく。ある一日、「ツウチャン」と彼女の名を呼ぶ「琵琶」に導かれるように謙三郎の眠る墓地にさまよい出たお通は、重隆が謙三郎の墓を足蹴にし、唾を吐きかける様子を目にし、重隆の咽喉を食い破る。
 明治29(1896)年、「国民之友」に発表された、日清戦争を背景とする作品。その内容ゆえか、昭和15(1940)年から刊行された岩波書店『鏡花全集』には収録されず、同じく収録を見送られた「海城発電」とともに、戦後刊行された『鏡花全集』第2刷以降、別巻に収められた。
 
     
     
     
     
  泉鏡花作「山吹」  
 
泉鏡花記念館学芸員 穴倉玉日
 
     
  二場からなる戯曲。第一場。春の花が咲き乱れる修善寺温泉の裏路。小糸川子爵夫人・縫子は、万屋で泥酔する老いた人形使・辺栗藤次の傍らにある静御前の人形に見入る。そこに来合わせ同じように人形に眼を留めた画家・島津に、縫子は宿の者に実は島津の妻であると嘘をついた事を話す。「悪戯」と笑って済ます島津だが、追われる身である自分と目くらましのためにともに連れ立って欲しいという縫子の申し出には「迷惑です」と断ってしまう。失意の縫子は、人形使の老爺に「何の望みもない身だから、お前の望みを叶えさせて欲しい」と告げる。人形使は何も言わず、縫子を樹立に招いていく。第二場。縄に縛られたように装い、跪いて縫子に折檻を頼む人形使。言われるままに傘で打つ縫子を止めに入った画家に、人形使は若い頃に女性を虐げた罪障を償うため、同じように美しい女性による責め苦を願っていたと話す。願わくばこれからも縫子の苛責を受けたいという人形使の言葉に意を決した縫子は、実は自分は画家が贔屓にしていた料理屋の娘であり、婚家の仕打ちに耐えかねて家出してきたと打ち明け、島津への秘めたる思慕を告白する。島津への思いが叶わぬ今、人形使の願いを受け入れることで女として生まれた誇りと果報を受けたいという縫子。腐った鯉を肴に人形使との婚礼の儀式をし、縫子は「世間」に別れを告げ、人形使とともに去っていく。残された画家は一瞬迷いを見せるが、「いや、仕事がある。」とその画業のために踏みとどまる。
大正12年「女性改造」に発表。後に三島由紀夫が澁澤龍彦との対談において絶賛したことでも知られる。平成18年7月には東京歌舞伎座において異例の上演を果たし、注目を集めた。
 
     
 
(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより)
 
 
 

 
 
 
  五木寛之作「浅の川暮色」  
 
鷺森雨中
 
 
 
 

 金沢・主計町茶屋街を舞台とした「浅の川暮色」は、昭和46年6月「小説新潮」に発表された。東京の新聞社に勤務する森口守は金沢を訪れ、なべ料理<次郎>の二階座敷で、青年記者時代に<しのぶ>で出逢った少女柴野みつとの悲運な恋を思い起こしていた。「ひょっとしたら若い森口とみつが、この町の古いしきたりをひっくり返すような大恋愛にでもおちいって、何百年もよどんで沈殿しているような城下町の空気に、何か激しい衝撃でもあたえることを密かに望んでいたのかもしれない。」森口が回想する<次郎>の女主人の秘めた思いには、60年代を背景とした閉鎖的伝統を持つ遊郭への破壊願望が込められている。
 同じく金沢の芸妓が登場する「朱鷺の墓」(昭和43年4月)は金沢・ひがし茶屋街に始まり、舞台はアジア、シベリア、ヨーロッパへと展開されて行く。迫害され国外へ売られ日露戦争という激動の時代を生き抜いた芸妓染乃は、亡夫の両親に会うため国外へ向かう船上から日本海を眺めて、「この国の人びとには、どこか一点、なぜか人間らしさに欠けた部分がある」と感じる。
 金沢の土地柄が持つ鬱屈感を打破する五木文学。その重い情念が注ぎ込まれた両作品には、金沢のみならず、時代に翻弄された人間への鎮魂と哀しみが滲み出ているように思えるのだ。


 
     
 
(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより)
 
 
 

 
 
 
  演出ノート  〜 鏡花の文声高らかに 〜  
 
鷺森雨中
 
     
 

 私は亡母憧憬の代表的作品「化鳥」を創造していくうち、雀を愛し鈴夫人と微笑ましい暮らしをなさっていた鏡花先生が、美しい母の住む天上へ鳥のように空へ飛び立とうとしている姿を思い浮かべるようになった。少年の名である「廉」という文字には、潔い、未練がないという意味があり、相対した心情を察する度に私は胸を打たれた。

 「外科室」では、医学士高峰と、覚悟のもと手術台という「貴い船」に乗った貴船伯爵夫人とが、互いに高貴な愛を求めて現世で生きることをやめる。秘めた二人の愛は社会悪であろうかと世に問いかける形で作品は結ばれているが、婚姻に縛られている私達には分かり得ない「高い峰」に到達した高貴な愛の存在を見過ごしてはならないように思える。

 民法が成立した明治31年の婚姻制度では、結婚を希望する男女が、男子30歳未満、女子25歳未満であれば戸主権を持つ親の承諾を必要とした。結婚後も当人らの意思に関わらず、戸主権を行使して離婚させることも可能であった。この封建的社会から生まれた婚姻制度に翻弄された「夜行巡査」の男女、八田義延とお香はまさに伯父によって愛を引き裂かれるのだが、その伯父もまた婚姻という社会が作った制度によって愛に敗れた男でもあった。作中では、堀へ落ち、溺れる伯父を助けるため命を落とした義延の「義」に焦点を置き、義を強要した社会の正体を浮き彫りにすることで、社会制度を甘受しているうちに無関心と傍観を学んだ私達に、社会へ準ずることの不確かさを諭しているように思える。

 「琵琶傳」が発表されたのは明治29年1月。日清戦争勃発の約1年半後であった。この作品には何県何町というような土地設定が無く、作中では、陸軍尉官であるお通の良人近藤重隆が、いとこ同士である謙三郎とお通の情愛を引き裂き、ついにはお通に食い殺されるという結末が描かれており、凄まじい愛の勝ち取り方と世相への反逆に敬服するばかりでした。「琵琶傳」は「外科室」「夜行巡査」に並ぶ観念小説として、研ぎ澄まされた感性とカミソリのような鋭さで世を震撼させていた血気盛んな若き日の鏡花先生の意欲作であるように思う。

 人間世界を舞台としその醜悪を突く「山吹」では、「山吹の花の、わけて白く咲きたる」ような小絲川子爵夫人縫子が行き場を探して、世を達観した人形使と共に現世を超え異界へ旅立つ姿に凛々しさを感ぜずにはいられなかった。現世に取り残された島津は絶句する。「うむ、魔界かな、此は、はてな、夢か、いや現実だ・・・ええ、おれの身も、おれの名も棄てようか・・・いや、仕事がある。」・・・縫子のように現実と魔界が交錯する現世に別れを告げて、私も仲間と共に世を超えたいと思う。

 鏡花先生の豪作に武者震いをしながら挑んだ半年は、私にとって厳しくも至福の時間であった。当初より、演出という大役は私には荷が重すぎると懸念されたが、全身全霊を賭けて取り組む皆さんの気迫と感性に圧倒され、斬新な演出家となるよう、空っぽな私の感性に情熱の魂を授けて下さり、皆さんで私を盛り立てて下さいました。私は今、この御恩に報いるべく一層勤勉に励もうと心を新たにしています。時が過ぎこのページを見開く時が来たら、新進演出家としてデビューさせて頂いたこの初心を思い起こし、再び背筋を伸ばして溌剌と生き抜いて行こうと思います。この場をお借り致しまして、御先達の方々、部員の皆様へ厚く熱く御礼申し上げます。

 
 
平成19年 春陽
 
     
 
(平成19年3月24日〜4月8日 2007朗読で綴る金沢文学 公演パンフレットより)
 
 
 
 
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